2008年02月19日
松下政経塾「「落伍家」夕日亭大根心」〜希望の島フォーラム2
私が「希望の島フォーラム」の会場に着いたのは、始まる5分前でした。受付を済ませてホールに入ると、すでに大勢の人が座っていました。
できるだけ目立たない席に座ろう、と思って一番後ろの角から一つ左の席が空いていたのでそこに陣取りました。
ふと自分の右(すなわち会場で最も右で最も後ろの席)を見ると、あまり見かけないデザインの「木のアタッシュケース」が置かれていました。ほどなくその鞄の主が私の隣に座ります。ライトグリーンの作業着のようなものを着た年配の男性でしたが、座るときに私が会釈をしたら、
「こんにちわ。どこから来たんですか?」
と人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。
高松ではこうはいかないかも、と思いながら
「えっと、高松からです。。」
というと
「あれま、なんでそんなに遠くから?」
と驚いた様子で聞かれました。私はフォーラムに参加することになった経緯を説明しました。
距離は別として高松から東京へは1時間ちょっとで行けます。でも弓削には、実に電車で2時間船で1時間合計3時間かかります。「近くて遠いところ」だったのです。きっと私が「東京から来ました」という方が驚かれなかったような気がします。
その人は「私は若松進一と申しまして、今話している偉い先生(神野先生のこと)の、こともあろうことか、次の出番なのです。」とおっしゃいました。「私が弓削まで来た大きな動機の一つは、大根心師匠という方のお話を聞いてみたいということだったのですよ!」と私。「つまらん話ですよ〜」と師匠。
神野先生の基調講演が終わると、舞台には金屏風と金の座布団が敷かれました。
若松進一さんこと大根心師匠は「裂き織」と言われる愛媛の特産品の紺色の羽織を羽織って壇上に上がりました
テケテンテンテン・・♪♪
さきほどの神野先生のときとは、違ったムードが流れ、夕日亭大根心師匠の話が始まりました。
「え〜〜落語という話芸がありますが、一人の人が様々な人間になりきって人生や社会を面白おかしく、時には涙して演じる姿には深い共感を覚えます。
ある日、「そうだ落語家ならぬ、落伍家になって、自分の身近な出来事や日頃の考えをありのまましゃべってみよう」と思い立ちました。浅学や下手くそのそしりは免れなくても、それがまたペーソスになったり笑いを誘い、人々の心に温もりを感じてもらえるかもしれないと、恥も外聞も捨てて63歳で思い立ちました。
物は豊かになったけれど心が病んだ混とんとした世の中に、少しでもお役に立てるなら望外の幸せです。」という挨拶。
師匠は、「なんにも名所も名物もない」といわれる双海町の夕日の綺麗さに目をつけ、奇想天外なアイデアを出してはゲリラ的かつ計画的にそれを実現してゆきます。一町役場職員ではなく、教育長になったときにもそのスタンスは変らなかったようです。
例えばJR駅を菜の花いっぱいにしたら夕日に映えて綺麗になって、人がいっぱいくるんじゃないかと、線路の脇に菜の花を植えることを提案します。
お役所体質の抜けないJRは「とんでもない」と、菜の花の種を蒔くことを禁止します。
しかし師匠は諦めなかった。かねがね一緒に活動しているエプロンチームに相談して、「穴の空いたポケット」付きのエプロンをたくさん作り、それに菜の花の種を入れました。穴あきポケット付きエプロンをボランティア全員がつけて駅を掃除するのです。掃除をするというボランティアにはJRも反対はできません。
種は捲くのではなく自然にこぼれていく。
そして季節になったらそこら一面が菜の花でいっぱいになった。
これをマスコミが取り上げたお陰で有名なスポットとなり、全国から菜の花駅を見ようと、人が来るようになった。今ではJRを挙げて「菜の花の咲く駅」というキャッチフレーズで集客しているんだそうです。
「お役所のいうことや周辺全員の合意を待っていたらできることもできなくなることが多い」
ストレスのかからない速度で、自分たちが楽しいと思える空間にまちをしていくためには、ゲリラ的なこと、既成事実ができちゃった的なこと、が実は必要なのではないかな、、と感じ、激しく共感した師匠のお話でした。(俄然元気がでたマロンです)
もっと師匠を知っていただくために、フォーラムで戴いた夕日亭師匠の高座本より、150話のうちの1話「掃除の話」を紹介して夕日亭師匠のレポートを締めくくりたいと思います。
*******************************
私は役場に務めていた現職中、ふたみシーサイド公園という道の駅で12年間にわたって朝5時から8時までの3時間、毎日掃除ボランティアをしました。1日3時間程度の掃除はどおってことありませんが、それを1年間雨の日も風の日も続けることは容易なことではなく、ましては12年という途方もなく長い間つづけたのですから、今にして思えば自分で自分を褒めてやりたい心境です。課長になっても教育長になっても掃除を続ける私の姿を見て、「ええ格好するな』と最初は批判の声も上がりました。でも私はそうした陰口には一切耳を貸さず、一生懸命掃除をしたのです。
ふたみシーサイド公園に約400メートルの人工砂浜を造りました。瀬戸内海といっても冬になると北西の季節風が吹き荒れる伊予灘に面した場所に人工海浜を作るという無謀とも言える私の考えた計画に、多くの人が反対しました。案の定、入れた砂は風波に流されほとんどなくなるという失敗にあうと、「それ見たことか。言わんことじゃあない」と痛烈な批判の声が上がりました。それでも臆することなく突堤を整備し離岸堤を造り、やっとその砂は自分の居場所を見つけ、今の美しい姿を保っているのです。
私はある人か「掃除もできない奴はまちづくりを語る資格がない」という言葉を聞きました。「掃除くらいだったら俺にでもできる」と安易な気持ちで始めたものの掃除は奥行きが深く、一輪車とクマデで400メートルの砂浜に挑むのですが、牛一頭もあろう漂着海草を砂の下から掘り起こす作業や雪交じりの寒風作業は想像を絶するものでした。
ある時掃除をしていると、若いお母さんが子どもを連れて私の側を通りかかりました。そのお母さんは「綺麗な海岸じゃねえ」と子どもの話していました。次の瞬間私を指さして「僕、あのおいちゃんを見てご覧。朝も早くから起きて、汗に浮いてドロドロになって、、あんたも勉強せんとあのおいちゃんみたいに掃除をしなければならない人になるよ」と諭しているのです。私は持っていた空き缶を投げつけたやりたいような心境になりました。掃除をすることが、そんなに卑しいことなのでしょうか。子どもに対する教育が間違っていると思いました。
掃除をすると綺麗になる。綺麗になるとゴミを捨てない。このよき循環がシーサイド公園の美しさの秘密です。12年間の小さな積み重ねが綺麗な砂浜を保ち、今では夕日のメッカとして年間55万人という多くの人に愛されているのです。掃除はまちづくりの第一歩。お陰様で私は掃除で国土交通省の観光カリスマ100選に選ばれました。「真似しない真似できないカリスマ」だそうです。
*************************
私のブログより早く、師匠が希望の島フォーラムのことを書かれていました↓
http://ameblo.jp/shin-1/entry-10073586895.html
帰り際に「是非高松にも落伍を聞かせにきてください」とお願いしたら、近々三木町商工会に呼ばれて来県されるとのことです。
ご都合が良い方、ご一緒しませんか?目からうろこの連続請け合いです!
できるだけ目立たない席に座ろう、と思って一番後ろの角から一つ左の席が空いていたのでそこに陣取りました。
ふと自分の右(すなわち会場で最も右で最も後ろの席)を見ると、あまり見かけないデザインの「木のアタッシュケース」が置かれていました。ほどなくその鞄の主が私の隣に座ります。ライトグリーンの作業着のようなものを着た年配の男性でしたが、座るときに私が会釈をしたら、
「こんにちわ。どこから来たんですか?」
と人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。
高松ではこうはいかないかも、と思いながら
「えっと、高松からです。。」
というと
「あれま、なんでそんなに遠くから?」
と驚いた様子で聞かれました。私はフォーラムに参加することになった経緯を説明しました。
距離は別として高松から東京へは1時間ちょっとで行けます。でも弓削には、実に電車で2時間船で1時間合計3時間かかります。「近くて遠いところ」だったのです。きっと私が「東京から来ました」という方が驚かれなかったような気がします。
その人は「私は若松進一と申しまして、今話している偉い先生(神野先生のこと)の、こともあろうことか、次の出番なのです。」とおっしゃいました。「私が弓削まで来た大きな動機の一つは、大根心師匠という方のお話を聞いてみたいということだったのですよ!」と私。「つまらん話ですよ〜」と師匠。
神野先生の基調講演が終わると、舞台には金屏風と金の座布団が敷かれました。
若松進一さんこと大根心師匠は「裂き織」と言われる愛媛の特産品の紺色の羽織を羽織って壇上に上がりました
テケテンテンテン・・♪♪
さきほどの神野先生のときとは、違ったムードが流れ、夕日亭大根心師匠の話が始まりました。
「え〜〜落語という話芸がありますが、一人の人が様々な人間になりきって人生や社会を面白おかしく、時には涙して演じる姿には深い共感を覚えます。
ある日、「そうだ落語家ならぬ、落伍家になって、自分の身近な出来事や日頃の考えをありのまましゃべってみよう」と思い立ちました。浅学や下手くそのそしりは免れなくても、それがまたペーソスになったり笑いを誘い、人々の心に温もりを感じてもらえるかもしれないと、恥も外聞も捨てて63歳で思い立ちました。
物は豊かになったけれど心が病んだ混とんとした世の中に、少しでもお役に立てるなら望外の幸せです。」という挨拶。
師匠は、「なんにも名所も名物もない」といわれる双海町の夕日の綺麗さに目をつけ、奇想天外なアイデアを出してはゲリラ的かつ計画的にそれを実現してゆきます。一町役場職員ではなく、教育長になったときにもそのスタンスは変らなかったようです。
例えばJR駅を菜の花いっぱいにしたら夕日に映えて綺麗になって、人がいっぱいくるんじゃないかと、線路の脇に菜の花を植えることを提案します。
お役所体質の抜けないJRは「とんでもない」と、菜の花の種を蒔くことを禁止します。
しかし師匠は諦めなかった。かねがね一緒に活動しているエプロンチームに相談して、「穴の空いたポケット」付きのエプロンをたくさん作り、それに菜の花の種を入れました。穴あきポケット付きエプロンをボランティア全員がつけて駅を掃除するのです。掃除をするというボランティアにはJRも反対はできません。
種は捲くのではなく自然にこぼれていく。
そして季節になったらそこら一面が菜の花でいっぱいになった。
これをマスコミが取り上げたお陰で有名なスポットとなり、全国から菜の花駅を見ようと、人が来るようになった。今ではJRを挙げて「菜の花の咲く駅」というキャッチフレーズで集客しているんだそうです。
「お役所のいうことや周辺全員の合意を待っていたらできることもできなくなることが多い」
ストレスのかからない速度で、自分たちが楽しいと思える空間にまちをしていくためには、ゲリラ的なこと、既成事実ができちゃった的なこと、が実は必要なのではないかな、、と感じ、激しく共感した師匠のお話でした。(俄然元気がでたマロンです)
もっと師匠を知っていただくために、フォーラムで戴いた夕日亭師匠の高座本より、150話のうちの1話「掃除の話」を紹介して夕日亭師匠のレポートを締めくくりたいと思います。
*******************************
私は役場に務めていた現職中、ふたみシーサイド公園という道の駅で12年間にわたって朝5時から8時までの3時間、毎日掃除ボランティアをしました。1日3時間程度の掃除はどおってことありませんが、それを1年間雨の日も風の日も続けることは容易なことではなく、ましては12年という途方もなく長い間つづけたのですから、今にして思えば自分で自分を褒めてやりたい心境です。課長になっても教育長になっても掃除を続ける私の姿を見て、「ええ格好するな』と最初は批判の声も上がりました。でも私はそうした陰口には一切耳を貸さず、一生懸命掃除をしたのです。
ふたみシーサイド公園に約400メートルの人工砂浜を造りました。瀬戸内海といっても冬になると北西の季節風が吹き荒れる伊予灘に面した場所に人工海浜を作るという無謀とも言える私の考えた計画に、多くの人が反対しました。案の定、入れた砂は風波に流されほとんどなくなるという失敗にあうと、「それ見たことか。言わんことじゃあない」と痛烈な批判の声が上がりました。それでも臆することなく突堤を整備し離岸堤を造り、やっとその砂は自分の居場所を見つけ、今の美しい姿を保っているのです。
私はある人か「掃除もできない奴はまちづくりを語る資格がない」という言葉を聞きました。「掃除くらいだったら俺にでもできる」と安易な気持ちで始めたものの掃除は奥行きが深く、一輪車とクマデで400メートルの砂浜に挑むのですが、牛一頭もあろう漂着海草を砂の下から掘り起こす作業や雪交じりの寒風作業は想像を絶するものでした。
ある時掃除をしていると、若いお母さんが子どもを連れて私の側を通りかかりました。そのお母さんは「綺麗な海岸じゃねえ」と子どもの話していました。次の瞬間私を指さして「僕、あのおいちゃんを見てご覧。朝も早くから起きて、汗に浮いてドロドロになって、、あんたも勉強せんとあのおいちゃんみたいに掃除をしなければならない人になるよ」と諭しているのです。私は持っていた空き缶を投げつけたやりたいような心境になりました。掃除をすることが、そんなに卑しいことなのでしょうか。子どもに対する教育が間違っていると思いました。
掃除をすると綺麗になる。綺麗になるとゴミを捨てない。このよき循環がシーサイド公園の美しさの秘密です。12年間の小さな積み重ねが綺麗な砂浜を保ち、今では夕日のメッカとして年間55万人という多くの人に愛されているのです。掃除はまちづくりの第一歩。お陰様で私は掃除で国土交通省の観光カリスマ100選に選ばれました。「真似しない真似できないカリスマ」だそうです。
*************************
私のブログより早く、師匠が希望の島フォーラムのことを書かれていました↓
http://ameblo.jp/shin-1/entry-10073586895.html
帰り際に「是非高松にも落伍を聞かせにきてください」とお願いしたら、近々三木町商工会に呼ばれて来県されるとのことです。
ご都合が良い方、ご一緒しませんか?目からうろこの連続請け合いです!
Posted by マロンアルファー at 21:35│Comments(3)
│大事にするということ
この記事へのコメント
いかないかんでしょう(笑)
Posted by るいまま at 2008年02月20日 08:39
るいまま
http://www.shokokai-kagawa.or.jp/miki/
探したけど載ってない。。問合せなくてはだ!
http://www.shokokai-kagawa.or.jp/miki/
探したけど載ってない。。問合せなくてはだ!
Posted by マロン at 2008年02月20日 10:19
パソコンの不具合ですっかり返事が遅れてしまいました。
凄い記事を書くもので、びっくりしました。
縁とは不思議なものです。
是非一度で会いたいと思っています。
人間牧場へもお越し下さい。
凄い記事を書くもので、びっくりしました。
縁とは不思議なものです。
是非一度で会いたいと思っています。
人間牧場へもお越し下さい。
Posted by 若松進一 at 2008年03月11日 09:53
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。