2011年04月13日
躊躇の理由と飛び込んだ理由/お礼の会
3月初めに「石井さんが選挙にでることを決めた」と真夜中の電話を受けたときは、すぐに「よっしゃ。私も思いっきり手伝うからがんばろう」と、すぐに言えませんでした。
亡き父が人生の多くの時間を選挙に捧げた人だった。そのために寿命が縮んだと思ってるので、政治には興味が持てたところで、選挙には目を向けていませんでした。なので、大切な友人からの連絡だったけれど、正直、自分がそこにかかわることに戸惑いを隠せませんでした。
父が代議士秘書としてかかわっている家族として私が見てきた「選挙手法」というのは、人に頭を下げていくこと。政治家がどんな国にしたいと思っているかということ具体的にを見せること(それのみがひたすら選挙運動と私は思う)ではなくて、そうじゃないところ(お葬式に花輪を何本出した、とか、結婚式でスピーチしくれた、何々に顔を出してくれた、どっかのカントリーエレベーターを作ってくれた)ばかりが重要視されている空気を感じていました。
それでも、信奉する方の娘婿である代議士のためと喜んで命を削っていた父はある日、筋萎縮性側索硬化症という原因不明の病に倒れた。病院に入院したときに一度お見舞いに来てくれたときの代議士の言葉や、お葬式のときの代議士の様子を見て、はたしてこの人は父が命をささげるほどの人だったのか?と、疑問を持つ気持ちになったことを思い出しました。
「あの選挙、あのやり方、あの時間の数々」がよみがえってきて、すぐに「わかった、思いっきり手伝うよ」と、言いませんでした。
豊島で出会ってそこでの活動や高松での活動を通して、最初は「この人は、どうして、ありがとうとごめんなさいをあまり言わないのだろう」と思っていたクールに見えた石井さんの、本当はとても暖かな(特に弱いものに対して)人柄やこれまでやってきたことを十分知っているつもりで、こんな人ばかりが議員さんになれば、香川は確実に変わる、と確信していたにもかかわらず、です。
3日くらい迷い続けたある日、「石井さんの立候補で砂川さんが元気になった」と聞きました。石井さんを島の誇る人材と言ってはばからない砂川さんと児島さん(石井さんの後援会長@島)が、まず、石井さんの決意を歓迎し、祝福した。どこからであろうと、豊島の誇る人材が県政で活躍できるのは素晴らしいことじゃ、と。
これを聞いて完全にふっきれました。
砂川さんが元気になったなら私もできる限りのことをしよう」
お金もない、時間もない、人もいない、組織票といわれる票なんか皆無、それでも、石井さんに本当に県政をやってほしいという思いがみんなの共通項となり、助っ人(特に20代30代の若者)が降ってきて、そこに80代の砂川さんと70代の児島さんが加わって、気が付いたら選挙事務所は、とても素敵な空間になっていました。平均睡眠時間3時間(私はもっと寝ていたけど)で、できることは全部やって、投票日がきました。
今回の香川県議会議員選挙。石井とおるに興味を持ってくださってお力をいただいたみなさん、本当にありがとうございました。
結果は落選という残念な結果になりました。せっかくお力をいただいたのに申し訳ありません。
が、何の地盤も組織もない中で、1900人あまりの方が、投票所に足を運び、「石井とおる」と書いてくださったこと自体を、奇跡のようにありがたく思えます。
石井とおるは、「地域の利益代表」的な働きをしない政治家だと思います。今回、彼に投票してくださった人は、一人残らず、目先の利益にとらわれるのではなく、本当に県政を健全なものにしたいと、心から思っている方に他ならないと、勝手に断言させてもらいます。
4月10日の夜中、開票結果が出きったところで、一緒に選挙運動を戦った仲間と反省会をしました。
認識を共有できたのは、「これがスタートである。1900票を基礎票に、次の3年~4年間、石井さんのことを知ってもらう地道な座談会活動をしよう・一人一人と対話していこう」ということでした。
彼のやろうとしていること、考えていることを一人でも多くの方に届けるため、今後もお心を寄せていただければ幸甚です。
ありがとうございました。
近く、投票してくださった1900人の方にお礼を言う会を企画したいと思っています。
詳細は全く未定ですが、実施したいと思っています。
対象は、石井とおるに投票してくれた人、興味を持ってくれた人、今興味を持ってくれる人、の3種類です。
ここでもご案内する予定ですので、よろしくお願します。

亡き父が人生の多くの時間を選挙に捧げた人だった。そのために寿命が縮んだと思ってるので、政治には興味が持てたところで、選挙には目を向けていませんでした。なので、大切な友人からの連絡だったけれど、正直、自分がそこにかかわることに戸惑いを隠せませんでした。
父が代議士秘書としてかかわっている家族として私が見てきた「選挙手法」というのは、人に頭を下げていくこと。政治家がどんな国にしたいと思っているかということ具体的にを見せること(それのみがひたすら選挙運動と私は思う)ではなくて、そうじゃないところ(お葬式に花輪を何本出した、とか、結婚式でスピーチしくれた、何々に顔を出してくれた、どっかのカントリーエレベーターを作ってくれた)ばかりが重要視されている空気を感じていました。
それでも、信奉する方の娘婿である代議士のためと喜んで命を削っていた父はある日、筋萎縮性側索硬化症という原因不明の病に倒れた。病院に入院したときに一度お見舞いに来てくれたときの代議士の言葉や、お葬式のときの代議士の様子を見て、はたしてこの人は父が命をささげるほどの人だったのか?と、疑問を持つ気持ちになったことを思い出しました。
「あの選挙、あのやり方、あの時間の数々」がよみがえってきて、すぐに「わかった、思いっきり手伝うよ」と、言いませんでした。
豊島で出会ってそこでの活動や高松での活動を通して、最初は「この人は、どうして、ありがとうとごめんなさいをあまり言わないのだろう」と思っていたクールに見えた石井さんの、本当はとても暖かな(特に弱いものに対して)人柄やこれまでやってきたことを十分知っているつもりで、こんな人ばかりが議員さんになれば、香川は確実に変わる、と確信していたにもかかわらず、です。
3日くらい迷い続けたある日、「石井さんの立候補で砂川さんが元気になった」と聞きました。石井さんを島の誇る人材と言ってはばからない砂川さんと児島さん(石井さんの後援会長@島)が、まず、石井さんの決意を歓迎し、祝福した。どこからであろうと、豊島の誇る人材が県政で活躍できるのは素晴らしいことじゃ、と。
これを聞いて完全にふっきれました。
砂川さんが元気になったなら私もできる限りのことをしよう」
お金もない、時間もない、人もいない、組織票といわれる票なんか皆無、それでも、石井さんに本当に県政をやってほしいという思いがみんなの共通項となり、助っ人(特に20代30代の若者)が降ってきて、そこに80代の砂川さんと70代の児島さんが加わって、気が付いたら選挙事務所は、とても素敵な空間になっていました。平均睡眠時間3時間(私はもっと寝ていたけど)で、できることは全部やって、投票日がきました。
今回の香川県議会議員選挙。石井とおるに興味を持ってくださってお力をいただいたみなさん、本当にありがとうございました。
結果は落選という残念な結果になりました。せっかくお力をいただいたのに申し訳ありません。
が、何の地盤も組織もない中で、1900人あまりの方が、投票所に足を運び、「石井とおる」と書いてくださったこと自体を、奇跡のようにありがたく思えます。
石井とおるは、「地域の利益代表」的な働きをしない政治家だと思います。今回、彼に投票してくださった人は、一人残らず、目先の利益にとらわれるのではなく、本当に県政を健全なものにしたいと、心から思っている方に他ならないと、勝手に断言させてもらいます。
4月10日の夜中、開票結果が出きったところで、一緒に選挙運動を戦った仲間と反省会をしました。
認識を共有できたのは、「これがスタートである。1900票を基礎票に、次の3年~4年間、石井さんのことを知ってもらう地道な座談会活動をしよう・一人一人と対話していこう」ということでした。
彼のやろうとしていること、考えていることを一人でも多くの方に届けるため、今後もお心を寄せていただければ幸甚です。
ありがとうございました。
近く、投票してくださった1900人の方にお礼を言う会を企画したいと思っています。
詳細は全く未定ですが、実施したいと思っています。
対象は、石井とおるに投票してくれた人、興味を持ってくれた人、今興味を持ってくれる人、の3種類です。
ここでもご案内する予定ですので、よろしくお願します。

Posted by マロンアルファー at 14:29│Comments(0)
│政治は生活
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