
2011年04月09日
高松は、やっぱり変な人の宝庫
かねがねいろいろな人からお噂だけは拝聴していた、弘憲寺の宗学さんのところに、ようやくご縁ができて、最近何度かお邪魔しました。
初日は、ある人との待ち合わせだったのですが、本堂がわからずに、境内の中の一番大きな建物を覗き込み、
「ここが本堂ですか?」と、そこを歩いている人に尋ねたら、
「はい、ここが本堂です」と、答えてくれたその人が、宗学さんだった。
私の顔をみるなり、何かブツブツっと口で唱えたあと、「どうぞ」と中に招かれた。
この方は、日本全国に信者さんを持つパワー住職さんで、魔法使いみたいな方。
一緒にいた貞廣先生との会話を聞いていたら、「この世の会話?」と思える不思議トークがバンバン飛び出します。
で、帰り際に私のほうをむいて、
「あなたのご先祖の未成仏霊が30人くらいいらっしゃったから、みんな成仏させてあげたよ。30人もいると、ほかの人の守護霊がバタバタと倒れるから、本堂に入るまえにね♪」
と。。。
ひえーーーー!!!
そういえば、コンクリートのように凝ってた肩が、若干?楽になってるような。。
こんな風に書くと、よくある振興主教の「喜びの声」みたいだけど、
一度お会いになったら、わかると思うけど、めちゃめちゃ自然体の人です。しかも、今っぽくておしゃれ。
(よく、住職さんが無理しておしゃれっぽい服を着ている事例があるけれど、そんな感じでもない)
高松は、宗学さんや、貞廣さんみたいな、「ふつうっぽくふるまう」とんでもない人の宝庫なんでございますな。
それは、そうと、
若者よ、投票所に行こう。
期日前投票は、瓦町駅の地下でもやってます(ハガキなくても大丈夫)、本日終日。

みんながこれから生きていく日本を、自分の人生にちゃんと落とし込むために!
初日は、ある人との待ち合わせだったのですが、本堂がわからずに、境内の中の一番大きな建物を覗き込み、
「ここが本堂ですか?」と、そこを歩いている人に尋ねたら、
「はい、ここが本堂です」と、答えてくれたその人が、宗学さんだった。
私の顔をみるなり、何かブツブツっと口で唱えたあと、「どうぞ」と中に招かれた。
この方は、日本全国に信者さんを持つパワー住職さんで、魔法使いみたいな方。
一緒にいた貞廣先生との会話を聞いていたら、「この世の会話?」と思える不思議トークがバンバン飛び出します。
で、帰り際に私のほうをむいて、
「あなたのご先祖の未成仏霊が30人くらいいらっしゃったから、みんな成仏させてあげたよ。30人もいると、ほかの人の守護霊がバタバタと倒れるから、本堂に入るまえにね♪」
と。。。
ひえーーーー!!!
そういえば、コンクリートのように凝ってた肩が、若干?楽になってるような。。
こんな風に書くと、よくある振興主教の「喜びの声」みたいだけど、
一度お会いになったら、わかると思うけど、めちゃめちゃ自然体の人です。しかも、今っぽくておしゃれ。
(よく、住職さんが無理しておしゃれっぽい服を着ている事例があるけれど、そんな感じでもない)
高松は、宗学さんや、貞廣さんみたいな、「ふつうっぽくふるまう」とんでもない人の宝庫なんでございますな。
それは、そうと、
若者よ、投票所に行こう。
期日前投票は、瓦町駅の地下でもやってます(ハガキなくても大丈夫)、本日終日。
みんながこれから生きていく日本を、自分の人生にちゃんと落とし込むために!
2011年04月02日
小松玲子さんの金山サヌカイト、松岡淳さんのピアノ
3月29日には、金山の前田さん主催のチャリティコンサートは、表現できないほど素晴らしい美しいものでした。
小松さんのサヌカイトの音色は、深い、長い、細い、暖かい、光の糸。祈りのような。
※彼女は、ステージの最初のほうでは、松岡さんとにこやかにトークされていましたが、終わる頃に再び松岡さんとのトークになって、「震災に遭った人でまだ埋葬されていない人がいらっしゃる」という言葉が、途中で涙で詰まってしまって言えませんでした。ずっと、我慢してらしたことを知り、小松さんのお人柄の素敵さを知りました。
岩手出身の松岡さんのピアノの音色は、重いのに軽やかで、やっぱり暖かい 魂のピアノ。号泣して抱擁するようなそんな激しい気持ちをぎゅっと圧縮したような、音色でした。
100人近くの聴衆が、心を一つにしていたように思います。
魂の音色を聴きながら、東北にピアノとサヌカイトを運んで、避難所で過ごしている人に、この音を直接聞かせてさしあげたいと、強く思った。
そして、できそうな気がした。
香川県にこんなに素敵な人がいてくれたんだと嬉しくなるほど素敵な方=前田宗一さんのブログに、当日の演奏より3曲がYoutubeにて紹介されていましたので、どうぞ。(生演奏とは全く違いますが、雰囲気だけでも。。)
http://www.sanukite.com/weblog/2011/03/post-223.html
小松さんのサヌカイトの音色は、深い、長い、細い、暖かい、光の糸。祈りのような。
※彼女は、ステージの最初のほうでは、松岡さんとにこやかにトークされていましたが、終わる頃に再び松岡さんとのトークになって、「震災に遭った人でまだ埋葬されていない人がいらっしゃる」という言葉が、途中で涙で詰まってしまって言えませんでした。ずっと、我慢してらしたことを知り、小松さんのお人柄の素敵さを知りました。
岩手出身の松岡さんのピアノの音色は、重いのに軽やかで、やっぱり暖かい 魂のピアノ。号泣して抱擁するようなそんな激しい気持ちをぎゅっと圧縮したような、音色でした。
100人近くの聴衆が、心を一つにしていたように思います。
魂の音色を聴きながら、東北にピアノとサヌカイトを運んで、避難所で過ごしている人に、この音を直接聞かせてさしあげたいと、強く思った。
そして、できそうな気がした。
香川県にこんなに素敵な人がいてくれたんだと嬉しくなるほど素敵な方=前田宗一さんのブログに、当日の演奏より3曲がYoutubeにて紹介されていましたので、どうぞ。(生演奏とは全く違いますが、雰囲気だけでも。。)
http://www.sanukite.com/weblog/2011/03/post-223.html
2011年03月01日
團司さん、ありがとうございました。
江戸時代から300年続く文化(肥土山農村歌舞伎)を生涯かけて守り、後継者を育て続けた肥土山農村歌舞伎保存会会長 三木團司さんが、急逝されました。
享年65歳。
私が三木さんと初めて出会ったのは、2007年の5月でした。
その年の5月3日に、生まれて初めて、仲間たちと肥土山農村歌舞伎の舞台を泊りがけで見に行ったことがきっかけです。
歌舞伎、能、オペラ、狂言、コンサート、ライブと、舞台芸術を鑑賞するときは、飲食物持込禁止の会場で、お行儀よく座って鑑賞するというスタイルが主流の環境に慣れていた自分にとって、肥土山での半日は衝撃的でした。
http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/e9332.html
5月の気持ちのいい日差しの下、午後3時すぎから夜9時頃まで、お母さん方が早朝から起きて作ったワリゴ弁当、ワインや日本酒を戴きながら、桟敷に座って足を伸ばして過ごす時間。子どもからおじいさんまでその年の当番の肥土山の人達が何ヶ月もかけて練習した芝居を3演目も4演目も、溢れる緑に包まれながら見る、、という時間の流れ方、この素晴らしさにショックを受けてしまったのです。
http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/e121099.html
肥土山農村歌舞伎は、現存している農村歌舞伎(全国的には地芝居というそうです)の中でも、発祥したときと同じ「役者、奏者、化粧方、道具方、等のすべてを土地の人がこなしている」という非常に貴重なものだそうです。
「ゆるぎない肥土山地区の自治力と誇り」が、そこには今もずっと湛えられています。
http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/e25505.html
5月3日にこんな素晴らしい「芸能の鑑賞法」を経験した直後から、その頃仕事をさせてもらっていた「四国村の農村歌舞伎舞台」に、肥土山の方達に来てもらって芝居をしてもらえたらどんなに素敵だろうという「マロンの妄想」が始まりました。
お弁当とお酒を飲みながらあの屋島の山麓で、役者と客がゆるりと仕切られた空気の中でゆっくり流れる時間を共有する、そんな時間を作ってみたい、と思えば思うほどいてもたってもいられなくなって、気がついたら、土庄町の役場の電話番号を調べて、電話をしていました。
「肥土山農村歌舞伎の保存会の会長さんにお願いしたいことがあるので、電話番号を教えてほしい」と、正面窓口からお願いを始めました。
そして、三木さんに初電話。
「私は決して怪しいものではありません。お願いがあってお電話しました。」という怪しい切り出し方。
かくかくしかじかで、あの芝居をすべてじゃなくていいから、四国村でやってもらえないでしょうか。
できれば、今年の秋くらいに。。来年の春でもいいです。
どこの馬の骨ともわからない私の突然のこんな不躾なお願いに対しても、あくまでも優しく穏やかなう三木さんのお返事はこうでした。
実は、少し昔に、四国村には公演に呼んでもらっていた時代があったのですが、四国村に入村したお客様が無料で歌舞伎も鑑賞できるしくみだったためか、偶然通りがかった人が座っては流れ、座っては流れるのが辛かった。特に、一生懸命に化粧をして何ヶ月も演技の練習をして張り切って来ている子ども達がかわいそうだった。なので、公演は3年くらいで一旦中止させてもらって今に至るんですよ。実現はかなり困難な話だとは思います。どちらにしても、一度はお目にかかってみましょう。
ということで、初対面。場所は、三木さんの会社もある高松側のumieでした。
保存会会長というと、めがねをかけたお腹の丸いおじいさん、というイメージがあったのですが、初めておめにかかった三木さんは、ロマンスグレーで、背が高くて、逆三角形で、男前で、笑顔がまぶしいすごくかっこいいおじさまでした。
三木さんのダンディさに一瞬怯みつつも私は、肥土山農村歌舞伎四国村公演実現にむけて、がんばって口説き始めました。
私と一緒にやってくれたら、先日お電話でお聞きしたような「お客さんが座っては流れていく」ようなことには絶対させません。約束します。
芝居にちゃんとお金を払って見に来てもらえる、見たい人だけが席に座る企画にします。その人たちから集まったお金だけで、すべての経費がまかなえるようにしましょう。
昨日計算してみたら、お電話で聞いた諸経費に印刷費や想定しえるかぎりの支出を加えた合計が61万円。これらを、わたし(ボーセジュール)、保存会、四国村で、3分の1ずつリスクを背負ってやりませんか?チケットが1枚も売れなければ、それぞれ20万円ずつの出費です。チケットが2500円として、250人の人が来てくれたらプラマイ0、それ以上来てくれたら、今度はその利益を3分の1ずつ分けましょう。
と、提案しました。
今考えたら、実際に大道具から小道具まで全部持ってきてもらって、お芝居をしてもらう方にこんなあつかましい提案もないもんだと気づきます。しかし、三木さんは、何度かの理事会や役員会での相談ののち、「わかりました。あなたの情熱に負けました。やってみましょう。」というお返事を下さったのです。
開催決定が年明け。開催予定は5月10日に決定しました。正味3ヶ月の準備期間が、ありとあらゆる方の協力をどんどん戴きながら、駆け抜けていきました。
金比羅歌舞伎の金丸座にチラシを配りに行ったり、三越友の会の会報に広告を載せてもらったり、全日空ホテルクレメントのウェブに掲載してもらったり、三木さんによる歌舞伎の解説を古民家のいろりの周りでお茶を飲みながら聞くという企画をまちかど漫遊帖の春バージョンににねじこませてもらったり、中條文化振興財団に全面的なご協力で、当日四国村内の久米邸と、異人館で素敵なお茶会を開催してもらい、中條財団からそのセット券もたくさん売ってもらったり、、
http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/e13440.html
そんなこんなで当日を迎えました。
しかし、お天気は朝から雨。
「止んでくれ」と念じながら、三木さん率いる肥土山の人たちを乗せたバスを迎えました。
彼らがバスから降りた途端に感じた「すごく、善で、明るくて、頼もしい、陽気な空気」を私は忘れません。「雨が降っているけど、今日は絶対いい日になる!」と確信したのでした。
雨が降るかもしれない、ということで、三木さんは大工さんを連れて前日に四国村に花道を建設しにきてくれました。また、当日はPAから提灯から、大道具、小道具、すべてをその担当の方とともにつれてきてくれました。
当日の演目「義経千本桜つるべ鮓屋の段」のクライマックスの時には、雨足がもっとも強まりました。しかし、客席と舞台の一体感のようなものが生まれて、一種異様な空気が漂いました。
あとで三木さんから「雨のお陰?かな、役者の集中力とアドリブの効きが凄かった。楽しかった!」と言っていただきました。
(が、雨対策を甘く考えていた主催者としての課題は、四国村でやろうと言い出した自分の責任として、今も悔いが残っています。)
チケットは当日券も売れて、収支は、6000円の黒字、ぎりぎりセーフでした。でも、この黒字は、ほとんど無償で何日も動いてくれた三木さんや肥土山の人たち、関係してくれた本当にたくさんの人たちのお陰でできたものだと思っています。。
このときから、私は勝手に三木さんのことを、ともに汗してくれた仲間だと(年下のくせに)だと考え、恩人だと仰ぎつきまとうことにしました。
ある日、私のブログを読んでくれた三木さんが、「壇ノ浦の草刈、大変そうやから、手伝いに行ってあげましょう。草刈機は、軽トラに積んでこちらから持っていくので心配ご無用。朝一の船で行くので、道先案内よろしく」というメールが届きました。
計画性のないまま5反の要草刈田とともに借りていた壇ノ浦の家(一応事務所)の草がぼうぼうで、すでに手がつけられない状態で途方に暮れていたことを見かねた三木さんが、なんと小豆島から軽トラでレスキューに来てくれたのでした。こんな人がいるでしょうか。
またあるときは、「今日は高松でいますか?」と電話があり、「いますよ」と返事すると、「ちょっとお渡ししたいものがあるから」と言われ、受け取りにいくと渡された手提げ袋の中には「暑さ厳しき折、一杯やってください」と手書きの付箋がはりつけられた、冷えたデザートワインが保冷パックと一緒に入っていたこともありました。無類の酒好きだということがばれていたのでした。
2009年は、中條財団主催のあ・うんの数寄大茶会では、ゴッドマザーの至上命令で、私は肥土山のワリゴ弁当を点心として提供する席を交渉段階から担当することになりました。もちろん三木さんに泣きつき、肥土山のお母さん方にワリゴ弁当を作っていただくことになりました。青空の下のテーブルセッティングや接客にこまめに動いてくださったのはなんと三木さんを始めとした男衆(役者さん含む)です。農村舞台では、舞と津軽三味線、肥土山は、お天気にも恵まれた素晴らしい点心席を多くの人にプレゼントしてくれたのでした。
2010年から自分が関わっているNPO法人が借りることになった豊島の片山邸の、シンボルともいえる井戸の復活には、いろいろな試行錯誤の末、予算にも縛りがあったため、結局、地質会社のオーナー(よく考えたら思いっきり本職)の三木さんにまた泣きつきました。通常小豆島からトラックごと通って、職人さんにもお願いしたら2~3日はかかる作業を無理やり1日に縮めて作業して、井戸をきれいにしていただきました。予算はおそらく通常の3分の1(ほぼ原価のような)の請求でした。
お陰さまで、今、ことあるごとにその井戸の水を釜で沸かしてお茶を点てています。
これらはほんの一部ですが、こうして書き出してみると、よく、これだけお世話になりっぱなしで平気でいられたな!と。
今年の年明け、アーキペラゴが主催する「島や瀬戸内」へのあれこれを語り明かそうという会に、事務局から三木さんへ案内が送られました。また、2月26日に開催したSIフォーラムの案内は私がお送りしていたこともあり、その欠席の回答がてら、三木さんからメールが来ました。
「相変わらずお元気にご活躍のご様子、寒さも逃げ出したようです。さて、私事ながら、昨年末より体調を壊しまして現在加療中です。せっかくのご案内ですが、開催時期は、まだ病院に隔離中と思われます。従いまして、残念ですが不参加とさせていただきたく、よろしくお願いいたします。」
というお返事でした。
12月末入院でから3月もまだ出られない。。ちょっと長い、、と思って心配になりました、。
メールで「電話していいか」と確認し、電話をかけたら、つとめて元気そうに話されるけれど発声がしんどそうだったので、さらに配になり、
「恥ずかしいからお見舞いはご遠慮したい」、といわれつつ、強引に携帯メールで予告して2月17日にお見舞いに行きました。
病床で三木さんがおっしゃっていたこと。
★ だれかさんのお陰で四国村で芝居やったり、いろんなことをやらされてえらい目にあわされけど(笑)、お陰で、世界が広がった。三井さんとも会えたし、大臣賞も受賞したし、いろいろ世界が広がった。楽しかった。
★ 片山邸、あんな素晴らしいところは、瀬戸内海探しても(もちろん小豆島内)でもない。ほんとうに大事にせないかん。井戸は?水はちゃんといけてる?
★ 役者の大事なことのひとつは、色気です。単に体をこっちむけるだけでなく、上半身をちょと腰でひねるというめりはりをつけるためにも必要なんやけど、なかなかみんなできんなあ。
★ このまま入院が長引いたら5月の歌舞伎ができなくなってしまうので、困る。3月半ばには退院できると思う。あと10年。もうちょっと生きさせてもらわんと困る。
三木さんは前回お目にかかったときより痩せていて、ちょっとしんどそうで、白いひげが生えていたけれど、私の話によく笑ってくれて、三木さんもよく冗談をいって、素敵な奥様や息子さんと娘さんとともに、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。時間にして20~30分くらい。
お見舞いから帰ってきてから、だんだんと、いつでもお願いできると思っていた「マロンの潮風radio」で、肥土山農村歌舞伎への想いを話してもらわなければ、、と落ち着かなくなりました。それが、2月21日。
iPodをもって、病院に駆けつけて、現地収録させていただきたいとお願いしたいと何度も思ったけれど、「そんなんあわてんでも、元気になってからでもいいじゃないですか」といわれそうで、そしたらどう返していいかわからなくて、思いとどまっていたその週の日曜日27日午後5時頃、三木さんから着信がありました
「あ、三木さんからだ!」と思ってとったら、息子さんの声。。
今日の午後1時半に、父は息を引き取りました。お見舞いに来てもらったり、栗生さんにはいろいろお世話になってありがとうございました。とても安らかな寝顔のような顔でした。
という、報せでした。
今日の告別式に行ってきます。
ありがとうございました。
と
しばしのお別れを
言って来ます。
享年65歳。
私が三木さんと初めて出会ったのは、2007年の5月でした。
その年の5月3日に、生まれて初めて、仲間たちと肥土山農村歌舞伎の舞台を泊りがけで見に行ったことがきっかけです。
歌舞伎、能、オペラ、狂言、コンサート、ライブと、舞台芸術を鑑賞するときは、飲食物持込禁止の会場で、お行儀よく座って鑑賞するというスタイルが主流の環境に慣れていた自分にとって、肥土山での半日は衝撃的でした。
http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/e9332.html
5月の気持ちのいい日差しの下、午後3時すぎから夜9時頃まで、お母さん方が早朝から起きて作ったワリゴ弁当、ワインや日本酒を戴きながら、桟敷に座って足を伸ばして過ごす時間。子どもからおじいさんまでその年の当番の肥土山の人達が何ヶ月もかけて練習した芝居を3演目も4演目も、溢れる緑に包まれながら見る、、という時間の流れ方、この素晴らしさにショックを受けてしまったのです。
http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/e121099.html
肥土山農村歌舞伎は、現存している農村歌舞伎(全国的には地芝居というそうです)の中でも、発祥したときと同じ「役者、奏者、化粧方、道具方、等のすべてを土地の人がこなしている」という非常に貴重なものだそうです。
「ゆるぎない肥土山地区の自治力と誇り」が、そこには今もずっと湛えられています。
http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/e25505.html
5月3日にこんな素晴らしい「芸能の鑑賞法」を経験した直後から、その頃仕事をさせてもらっていた「四国村の農村歌舞伎舞台」に、肥土山の方達に来てもらって芝居をしてもらえたらどんなに素敵だろうという「マロンの妄想」が始まりました。
お弁当とお酒を飲みながらあの屋島の山麓で、役者と客がゆるりと仕切られた空気の中でゆっくり流れる時間を共有する、そんな時間を作ってみたい、と思えば思うほどいてもたってもいられなくなって、気がついたら、土庄町の役場の電話番号を調べて、電話をしていました。
「肥土山農村歌舞伎の保存会の会長さんにお願いしたいことがあるので、電話番号を教えてほしい」と、正面窓口からお願いを始めました。
そして、三木さんに初電話。
「私は決して怪しいものではありません。お願いがあってお電話しました。」という怪しい切り出し方。
かくかくしかじかで、あの芝居をすべてじゃなくていいから、四国村でやってもらえないでしょうか。
できれば、今年の秋くらいに。。来年の春でもいいです。
どこの馬の骨ともわからない私の突然のこんな不躾なお願いに対しても、あくまでも優しく穏やかなう三木さんのお返事はこうでした。
実は、少し昔に、四国村には公演に呼んでもらっていた時代があったのですが、四国村に入村したお客様が無料で歌舞伎も鑑賞できるしくみだったためか、偶然通りがかった人が座っては流れ、座っては流れるのが辛かった。特に、一生懸命に化粧をして何ヶ月も演技の練習をして張り切って来ている子ども達がかわいそうだった。なので、公演は3年くらいで一旦中止させてもらって今に至るんですよ。実現はかなり困難な話だとは思います。どちらにしても、一度はお目にかかってみましょう。
ということで、初対面。場所は、三木さんの会社もある高松側のumieでした。
保存会会長というと、めがねをかけたお腹の丸いおじいさん、というイメージがあったのですが、初めておめにかかった三木さんは、ロマンスグレーで、背が高くて、逆三角形で、男前で、笑顔がまぶしいすごくかっこいいおじさまでした。
三木さんのダンディさに一瞬怯みつつも私は、肥土山農村歌舞伎四国村公演実現にむけて、がんばって口説き始めました。
私と一緒にやってくれたら、先日お電話でお聞きしたような「お客さんが座っては流れていく」ようなことには絶対させません。約束します。
芝居にちゃんとお金を払って見に来てもらえる、見たい人だけが席に座る企画にします。その人たちから集まったお金だけで、すべての経費がまかなえるようにしましょう。
昨日計算してみたら、お電話で聞いた諸経費に印刷費や想定しえるかぎりの支出を加えた合計が61万円。これらを、わたし(ボーセジュール)、保存会、四国村で、3分の1ずつリスクを背負ってやりませんか?チケットが1枚も売れなければ、それぞれ20万円ずつの出費です。チケットが2500円として、250人の人が来てくれたらプラマイ0、それ以上来てくれたら、今度はその利益を3分の1ずつ分けましょう。
と、提案しました。
今考えたら、実際に大道具から小道具まで全部持ってきてもらって、お芝居をしてもらう方にこんなあつかましい提案もないもんだと気づきます。しかし、三木さんは、何度かの理事会や役員会での相談ののち、「わかりました。あなたの情熱に負けました。やってみましょう。」というお返事を下さったのです。
開催決定が年明け。開催予定は5月10日に決定しました。正味3ヶ月の準備期間が、ありとあらゆる方の協力をどんどん戴きながら、駆け抜けていきました。
金比羅歌舞伎の金丸座にチラシを配りに行ったり、三越友の会の会報に広告を載せてもらったり、全日空ホテルクレメントのウェブに掲載してもらったり、三木さんによる歌舞伎の解説を古民家のいろりの周りでお茶を飲みながら聞くという企画をまちかど漫遊帖の春バージョンににねじこませてもらったり、中條文化振興財団に全面的なご協力で、当日四国村内の久米邸と、異人館で素敵なお茶会を開催してもらい、中條財団からそのセット券もたくさん売ってもらったり、、
http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/e13440.html
そんなこんなで当日を迎えました。
しかし、お天気は朝から雨。
「止んでくれ」と念じながら、三木さん率いる肥土山の人たちを乗せたバスを迎えました。
彼らがバスから降りた途端に感じた「すごく、善で、明るくて、頼もしい、陽気な空気」を私は忘れません。「雨が降っているけど、今日は絶対いい日になる!」と確信したのでした。
雨が降るかもしれない、ということで、三木さんは大工さんを連れて前日に四国村に花道を建設しにきてくれました。また、当日はPAから提灯から、大道具、小道具、すべてをその担当の方とともにつれてきてくれました。
当日の演目「義経千本桜つるべ鮓屋の段」のクライマックスの時には、雨足がもっとも強まりました。しかし、客席と舞台の一体感のようなものが生まれて、一種異様な空気が漂いました。
あとで三木さんから「雨のお陰?かな、役者の集中力とアドリブの効きが凄かった。楽しかった!」と言っていただきました。
(が、雨対策を甘く考えていた主催者としての課題は、四国村でやろうと言い出した自分の責任として、今も悔いが残っています。)
チケットは当日券も売れて、収支は、6000円の黒字、ぎりぎりセーフでした。でも、この黒字は、ほとんど無償で何日も動いてくれた三木さんや肥土山の人たち、関係してくれた本当にたくさんの人たちのお陰でできたものだと思っています。。
このときから、私は勝手に三木さんのことを、ともに汗してくれた仲間だと(年下のくせに)だと考え、恩人だと仰ぎつきまとうことにしました。
ある日、私のブログを読んでくれた三木さんが、「壇ノ浦の草刈、大変そうやから、手伝いに行ってあげましょう。草刈機は、軽トラに積んでこちらから持っていくので心配ご無用。朝一の船で行くので、道先案内よろしく」というメールが届きました。
計画性のないまま5反の要草刈田とともに借りていた壇ノ浦の家(一応事務所)の草がぼうぼうで、すでに手がつけられない状態で途方に暮れていたことを見かねた三木さんが、なんと小豆島から軽トラでレスキューに来てくれたのでした。こんな人がいるでしょうか。
またあるときは、「今日は高松でいますか?」と電話があり、「いますよ」と返事すると、「ちょっとお渡ししたいものがあるから」と言われ、受け取りにいくと渡された手提げ袋の中には「暑さ厳しき折、一杯やってください」と手書きの付箋がはりつけられた、冷えたデザートワインが保冷パックと一緒に入っていたこともありました。無類の酒好きだということがばれていたのでした。
2009年は、中條財団主催のあ・うんの数寄大茶会では、ゴッドマザーの至上命令で、私は肥土山のワリゴ弁当を点心として提供する席を交渉段階から担当することになりました。もちろん三木さんに泣きつき、肥土山のお母さん方にワリゴ弁当を作っていただくことになりました。青空の下のテーブルセッティングや接客にこまめに動いてくださったのはなんと三木さんを始めとした男衆(役者さん含む)です。農村舞台では、舞と津軽三味線、肥土山は、お天気にも恵まれた素晴らしい点心席を多くの人にプレゼントしてくれたのでした。
2010年から自分が関わっているNPO法人が借りることになった豊島の片山邸の、シンボルともいえる井戸の復活には、いろいろな試行錯誤の末、予算にも縛りがあったため、結局、地質会社のオーナー(よく考えたら思いっきり本職)の三木さんにまた泣きつきました。通常小豆島からトラックごと通って、職人さんにもお願いしたら2~3日はかかる作業を無理やり1日に縮めて作業して、井戸をきれいにしていただきました。予算はおそらく通常の3分の1(ほぼ原価のような)の請求でした。
お陰さまで、今、ことあるごとにその井戸の水を釜で沸かしてお茶を点てています。
これらはほんの一部ですが、こうして書き出してみると、よく、これだけお世話になりっぱなしで平気でいられたな!と。
今年の年明け、アーキペラゴが主催する「島や瀬戸内」へのあれこれを語り明かそうという会に、事務局から三木さんへ案内が送られました。また、2月26日に開催したSIフォーラムの案内は私がお送りしていたこともあり、その欠席の回答がてら、三木さんからメールが来ました。
「相変わらずお元気にご活躍のご様子、寒さも逃げ出したようです。さて、私事ながら、昨年末より体調を壊しまして現在加療中です。せっかくのご案内ですが、開催時期は、まだ病院に隔離中と思われます。従いまして、残念ですが不参加とさせていただきたく、よろしくお願いいたします。」
というお返事でした。
12月末入院でから3月もまだ出られない。。ちょっと長い、、と思って心配になりました、。
メールで「電話していいか」と確認し、電話をかけたら、つとめて元気そうに話されるけれど発声がしんどそうだったので、さらに配になり、
「恥ずかしいからお見舞いはご遠慮したい」、といわれつつ、強引に携帯メールで予告して2月17日にお見舞いに行きました。
病床で三木さんがおっしゃっていたこと。
★ だれかさんのお陰で四国村で芝居やったり、いろんなことをやらされてえらい目にあわされけど(笑)、お陰で、世界が広がった。三井さんとも会えたし、大臣賞も受賞したし、いろいろ世界が広がった。楽しかった。
★ 片山邸、あんな素晴らしいところは、瀬戸内海探しても(もちろん小豆島内)でもない。ほんとうに大事にせないかん。井戸は?水はちゃんといけてる?
★ 役者の大事なことのひとつは、色気です。単に体をこっちむけるだけでなく、上半身をちょと腰でひねるというめりはりをつけるためにも必要なんやけど、なかなかみんなできんなあ。
★ このまま入院が長引いたら5月の歌舞伎ができなくなってしまうので、困る。3月半ばには退院できると思う。あと10年。もうちょっと生きさせてもらわんと困る。
三木さんは前回お目にかかったときより痩せていて、ちょっとしんどそうで、白いひげが生えていたけれど、私の話によく笑ってくれて、三木さんもよく冗談をいって、素敵な奥様や息子さんと娘さんとともに、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。時間にして20~30分くらい。
お見舞いから帰ってきてから、だんだんと、いつでもお願いできると思っていた「マロンの潮風radio」で、肥土山農村歌舞伎への想いを話してもらわなければ、、と落ち着かなくなりました。それが、2月21日。
iPodをもって、病院に駆けつけて、現地収録させていただきたいとお願いしたいと何度も思ったけれど、「そんなんあわてんでも、元気になってからでもいいじゃないですか」といわれそうで、そしたらどう返していいかわからなくて、思いとどまっていたその週の日曜日27日午後5時頃、三木さんから着信がありました
「あ、三木さんからだ!」と思ってとったら、息子さんの声。。
今日の午後1時半に、父は息を引き取りました。お見舞いに来てもらったり、栗生さんにはいろいろお世話になってありがとうございました。とても安らかな寝顔のような顔でした。
という、報せでした。
今日の告別式に行ってきます。
ありがとうございました。
と
しばしのお別れを
言って来ます。
2010年12月31日
10年越しのプロポーズ 太田篤備前作陶展「土と炎と形」
備前の里、西須恵というところに、太田篤という備前焼の作家がいます。
20年余前、「うまげな作家を見つけたきん、お前も一緒に行くか?」と父に誘われて、瀬戸大橋をわたって陶房を訪ねたのが最初の出会いです。
その頃丸亀城の堀畔には、「藍也」という、当時はまだ珍しかった倉を改造したカフェとギャラリーがあり、そこの女主人で、善通寺の造り酒屋のお嬢さんと、父と、3人で尋ねました。
まだ30代前半だったと思われる太田氏は、すでに新進気鋭の作家として、内外に名前が売れ、コシノヒロコさんなどを中心とした中央で活躍するデザイナー達に愛される作品を多数作っていました。
太田氏の作品は、備前焼の持つ素朴さや、炎のみが知る自然の模様の神秘さとともに、特に高台などに彼の繊細さ、優しさが滲み出ている作風で、その独特の手触り、風合い、品格が多くの人を魅了していたように思います。
しかし氏は、そんな作品からは創造がつかないような、ギャグの塊のようなお人柄の持ち主で、アトリエで腰掛けて、氏が手づから淹れてくれたコーヒーとお菓子をいただきながら、皺が15本くらい増えるほど、笑い続けなければ帰れない時間を、もらって帰りました。
その後、氏のお人柄と作品に魅了されて、職場の同僚などと何度か尋ね、今も愛用しているコーヒーカップや、サーバーなどの身の丈サイズの価格のものを選んで、買って帰ったりしていました。
何度か行っているうちに、太田氏のお父上とお目にかかる機会があったのですが、この方は篤氏の何倍ものギャグの塊な人でした。いろいろ聞いていると、かつらべかこ等がネタをもらいにお父さんのところを度々尋ねていたとのこと、「出汁は取っても、弟子はとらん」という名せりふ(?)もこのお父さんが与えたものだったとのこと。太田氏のギャグの才能は遺伝だったのだとわかりました。
そんな頃、友人の恵子ちゃんと、三越の駐車場でばったり会いました。彼女は、元ミス瀬戸大橋という華やかな経歴とは真反対とも思える、おとなしくて、頑固で誠実で、思慮深い、世にも美しい女性でしたが、ミスの任期を終えた翌年に、「せっかく無職になったのだから、長年やりたかったことをしたいと思って」ある磁器作家の弟子として修行を始めたところでした。
しかし、長く立ち話をするうちに、「本当は絵付けではなくて、焼き締めを勉強したい」ということを打ち明けてくれました。
そこで、ピンときてしまった私は、「恵子ちゃん、岡山行こう、岡山!」とせきたてて、もう一人の友人と一緒に、車で瀬戸大橋を渡りました。
自分から「こうしたい」とあまり意思表示をしたのをみたことのない彼女でしたが、3人で尋ねた陶房から帰った後電話があり、「どんなに厳しくてもいいから、あそこに弟子入りしたい」と言い始めました。「だったらトライしてみようよ」と盛り上がりました。後は自力で、彼女は太田氏のもとに通いつめました。最初は「わしは、弟子はとらんことにしとるんじゃけど」と難色を示していた氏でしたが、結局彼女の熱意に折れて受け入れ、交通費も自費、もちろん給料なんかはなし、の条件の下、彼女は長年、弟子として、飯山から通いとおしました。
以前から、時々太田氏のアトリエを訪れていたコシノヒロコさんは、彼女を見て、「こんなにひっそりと、師の影を踏まないようにしながら、まじめに働く、こんなに綺麗人をみたことがないわ」と思い、「どちらも独身でもういい年の二人をなんとか一緒にできないものか」と画策され、最終的には少々強引な(?)キューピッド役となり、二人の縁結びを成功させました。
岡山の鬼ノ城ゴルフクラブでの、コシノヒロコさんプロデュースの太田先生と惠子ちゃんの結婚式は、オリジナルでユニークでとてもとても暖かいものでした。その後、太田夫妻のもとには、主に関東から、著名人が訪れ続けているようですが、恵子さんの「気の毒なくらい誠実なお人柄」は、そのままです。
先日、久しぶりに、2児の母となった彼女より連絡があり、年末年始に、灸まん美術館で、下記の展覧会をすることになったので、来てほしいとお誘いを受けました。
美しい葉書も複数部送ってもらいましたので、ここにご案内申し上げます。
お正月に琴平近辺に初詣などにお出かけの方は、灸まんうどんでお腹を暖めて、是非ともお出かけください。確か、カフェも併設されていたと思います。
太田篤備前作陶展「土と炎と形」
記
日時:2010年12月31日(金)~2011年1月4(火) 9時~17時(最終日は15時まで)
場所:灸まん美術館 (善通寺市大麻町338 電話0877-75-3000)
陶房:瀬戸内市西須恵1212 電話 0869-26-4649
20年余前、「うまげな作家を見つけたきん、お前も一緒に行くか?」と父に誘われて、瀬戸大橋をわたって陶房を訪ねたのが最初の出会いです。
その頃丸亀城の堀畔には、「藍也」という、当時はまだ珍しかった倉を改造したカフェとギャラリーがあり、そこの女主人で、善通寺の造り酒屋のお嬢さんと、父と、3人で尋ねました。
まだ30代前半だったと思われる太田氏は、すでに新進気鋭の作家として、内外に名前が売れ、コシノヒロコさんなどを中心とした中央で活躍するデザイナー達に愛される作品を多数作っていました。
太田氏の作品は、備前焼の持つ素朴さや、炎のみが知る自然の模様の神秘さとともに、特に高台などに彼の繊細さ、優しさが滲み出ている作風で、その独特の手触り、風合い、品格が多くの人を魅了していたように思います。
しかし氏は、そんな作品からは創造がつかないような、ギャグの塊のようなお人柄の持ち主で、アトリエで腰掛けて、氏が手づから淹れてくれたコーヒーとお菓子をいただきながら、皺が15本くらい増えるほど、笑い続けなければ帰れない時間を、もらって帰りました。
その後、氏のお人柄と作品に魅了されて、職場の同僚などと何度か尋ね、今も愛用しているコーヒーカップや、サーバーなどの身の丈サイズの価格のものを選んで、買って帰ったりしていました。
何度か行っているうちに、太田氏のお父上とお目にかかる機会があったのですが、この方は篤氏の何倍ものギャグの塊な人でした。いろいろ聞いていると、かつらべかこ等がネタをもらいにお父さんのところを度々尋ねていたとのこと、「出汁は取っても、弟子はとらん」という名せりふ(?)もこのお父さんが与えたものだったとのこと。太田氏のギャグの才能は遺伝だったのだとわかりました。
そんな頃、友人の恵子ちゃんと、三越の駐車場でばったり会いました。彼女は、元ミス瀬戸大橋という華やかな経歴とは真反対とも思える、おとなしくて、頑固で誠実で、思慮深い、世にも美しい女性でしたが、ミスの任期を終えた翌年に、「せっかく無職になったのだから、長年やりたかったことをしたいと思って」ある磁器作家の弟子として修行を始めたところでした。
しかし、長く立ち話をするうちに、「本当は絵付けではなくて、焼き締めを勉強したい」ということを打ち明けてくれました。
そこで、ピンときてしまった私は、「恵子ちゃん、岡山行こう、岡山!」とせきたてて、もう一人の友人と一緒に、車で瀬戸大橋を渡りました。
自分から「こうしたい」とあまり意思表示をしたのをみたことのない彼女でしたが、3人で尋ねた陶房から帰った後電話があり、「どんなに厳しくてもいいから、あそこに弟子入りしたい」と言い始めました。「だったらトライしてみようよ」と盛り上がりました。後は自力で、彼女は太田氏のもとに通いつめました。最初は「わしは、弟子はとらんことにしとるんじゃけど」と難色を示していた氏でしたが、結局彼女の熱意に折れて受け入れ、交通費も自費、もちろん給料なんかはなし、の条件の下、彼女は長年、弟子として、飯山から通いとおしました。
以前から、時々太田氏のアトリエを訪れていたコシノヒロコさんは、彼女を見て、「こんなにひっそりと、師の影を踏まないようにしながら、まじめに働く、こんなに綺麗人をみたことがないわ」と思い、「どちらも独身でもういい年の二人をなんとか一緒にできないものか」と画策され、最終的には少々強引な(?)キューピッド役となり、二人の縁結びを成功させました。
岡山の鬼ノ城ゴルフクラブでの、コシノヒロコさんプロデュースの太田先生と惠子ちゃんの結婚式は、オリジナルでユニークでとてもとても暖かいものでした。その後、太田夫妻のもとには、主に関東から、著名人が訪れ続けているようですが、恵子さんの「気の毒なくらい誠実なお人柄」は、そのままです。
先日、久しぶりに、2児の母となった彼女より連絡があり、年末年始に、灸まん美術館で、下記の展覧会をすることになったので、来てほしいとお誘いを受けました。
美しい葉書も複数部送ってもらいましたので、ここにご案内申し上げます。
お正月に琴平近辺に初詣などにお出かけの方は、灸まんうどんでお腹を暖めて、是非ともお出かけください。確か、カフェも併設されていたと思います。
太田篤備前作陶展「土と炎と形」

日時:2010年12月31日(金)~2011年1月4(火) 9時~17時(最終日は15時まで)
場所:灸まん美術館 (善通寺市大麻町338 電話0877-75-3000)
陶房:瀬戸内市西須恵1212 電話 0869-26-4649
2010年12月23日
菅首相への手紙 差出人 平野貞夫
昨年初頭頃より、政治に興味を持ち始めました。
私もご多聞にもれず、マスコミの繰り返す報道により、ずいぶん長い間、小沢一郎さんをイメージだけで悪い政治家だと思っていました。ただ、あの面構えが大好きで、感覚的にはとても好きな政治家ではあったのですが、「これだけ、マスコミから叩かれるんだからよっぽど悪いことをした人なんだろうな」と、勝手に決めていました。
それにしても、ほかの政治家にもそんな人がいるはずなのに、なぜ、小沢一郎さん一人だけをマスコミはこれだけ繰り返し、長期間、しかも同じ題目を唱えてとりあげるのか、だんだん不思議に不審に思い始めたこととが漠然と根底にありました。
決定的に、政治に積極的な興味を持ち始めたきっかけは、この世でもっとも敬愛する友人が茶話の中で政治の話に触れたことに、私が「政治にはあまり興味ないんだよね」と返したとき、「どんな難しい言葉で飾られた法案であっても、すべて我々の生活、この目の前にある飲み物にもきっちりリンクしているんやで。政治は生活にまっすぐ直結している。政治に興味がないことは生活に興味がないいうこと、それはいい換えれば、人生に興味がないということになるよ」と言われたことです。
その興味とともに、小沢一郎さんがこれだけマスコミに叩かれている理由を、テレビから流れてくる情報ではなくて、能動的に、なぜなのかを主にネットや、ネットを通して知った著書を読むことによって日本はとんでもない不幸なしくみの中にいることを知りました。具体的に理解できたのは、副島隆彦氏の著書によります。
真実を知ろうとしない、あるいは、今テレビでみのもんたが毎朝話していることが真実だと信じて疑わない国民の「素直さ、愚鈍さ、怠慢さ」をいいことに、現在、日本は明治維新、いや、律令政治が始まった700年代から、既得権益を守りたい人が、長くそれを守れるシステムになっていることが、ひとつを紐解けばするすると、氷が解けるように見えてきました。
そして、今では、小沢一郎さんのみが、今、日本を本当の意味で、アメリカから独立させ、国民主権の(要するに民主主義)を勝ち得ることに導く政治家だと、確信しています。
小沢さんを総理大臣にすることで、現在日本が罹患している多くの病気が治ると思っています。現に小沢さんが主になって作った民主党のマニフェストは、クロスオーナーシップの廃止、電波権のオークション制の導入、記者会見のフルオープンなど、既得権益保持者(ここでは大マスコミ)にとっては脅威でありこれまでの長い自民党政治ではタブーだったことが織り込まれています。
総理になることが国民を幸せにする政治を実現する「手段」ではなくて、「目的」であり、今はそれにしがみつくことしか考えていないと思える菅直人が首相になってから、自民党政権よりも醜悪な政治が始まったしまったことが明らかになった9月の民主党代表選挙において、魂を売ったのか、思い上がっているのか、理由はどうあれ、菅さんに投票した民主党議員を、信用しません。
今、衆議院が解散総選挙になれば、香川には投票したいと思う候補者が一人もいないのが、悩みです。
30年も前から、小沢一郎に心酔し、身を呈して用心棒にすらなっている平野貞夫さんを代表とする日本一新の会が最近結成されたことから、私も入会して毎週メルマガを購読するようになりました。
今日届いたメルマガの記事をみて、「拡散希望」とあったので、今日本がおかれている本当の姿を一人でも多くの人に気づいてもらうことに自分も微力を尽くしたいと思っていたこともあるので、こちらに転載することにしました。ちょっと「あれ?」と思えるような乱暴な段落もありますが、ご紹介します。
これもひとつの、「マロンの冒険」であります。
http://www.ustream.tv/recorded/11595483 ←こちらは、戦うフリージャーナリスト岩上安身さんのUstインタビュー ゲストは小沢一郎さん
小沢一郎さんは、20年も前から、記者会見を、記者クラブだけに閉じることなく、完全にフリーに公開していた唯一(たぶん、いや、違う、亀井静香さんがいた!)の政治家です。
以下、平野貞夫さんによる今日とどいたメルマガです。
◎菅首相への手紙
拝啓 ご無沙汰しています。臨時国会が終わって、テレビでの様子をうかがうと随分とお元気そうで何よりです。
電波料金オークションを諦めたようですが、さぞかし、テレビ各社の評判がよろしいでしょう。パフォーマンスが多くなりましたね。これからは支持率も上がってくるでしょう。メディア・ファシズムで白痴化した国民が多くなりましたので期待できますね。
それにしても、私達にはない貴方の才能には驚きます。縁のあった人やお世話になった人たちを、ことごとく裏切り、嘘言を気にせず堂々と世の中を渡り、日本国の内閣総理大臣に就任されたことです。
市川房江先生は彼の世でなんと言っているでしょうか。これからは、貴方がこれまで人々に与えた嘘言や不信感がはね返ってきます。
そこで今日は、貴方が困っている問題について、かつてのように直言しますので参考にして下さい。
(貴方は憲法政治をほとんど知りませんね。)
小沢さんを国会に招致して「政治と金」について説明させたいようですが、果たしてそれで支持率が上がりますか。私は小沢さんと30年以上付き合っていて、不法な金や不正な金に、一切関わっていないことを知っています。旧新生党の資金や公金を私物化したと、貴方が批判したとの報道がありましたが、自民党が、政権を奪われた恨みでとやかく言うのならともかく、貴方が目くじらを立てるのは理解できません。
小沢さんは国家と国民のため、日本に真の民主政治を実現しようと、法律の許す範囲で蓄積してきたのです。貴方と違って、小沢さんは自分に異常な政権欲がない人で、この国と他人様のためという信条で合法的な資金を大事にし、ここが日本の民主政治にとって「関ヶ原」というところで勝負したのであり、貴方のグループの人などにも配分しています。
一昨年来、麻生自民党政権が民主党に政権を渡すまいと「日干し作戦」をとり、民主党では事務所費が払えない候補者、供託金すらも準備できない人が多数いたことを、自分のことしか考えない貴方は知らなかったのでしょうね。選挙での台所役というのは大変ですよ。あの資金があったからこそ政権交代ができた、と私は確信していますよ。このことは、政治について常識のある人なら理解していただけるはずです。
さて、貴方が拘っている小沢さんの国会招致ですが、12月20日には、一時間半も二人で話したようですね。報道を見るかぎり、貴方は「政治倫理審査会」について、「何も知らないな」と感じました。
そこで、私は衆議院事務局にいるとき、政治倫理制度をつくる担当課長でしたから、基本的なことを説明しておきましょう。
1、貴方は小沢さんに「自ら審査会に出て疑惑を説明しろ」と、規程第二条の二にもとづく対応を強要したようですが、これは小沢さん本人がどう考えるかを前提にしたものです。個人の倫理観にもとづく人権として設けたものです。従って、国会とか党といった組織が強要すべきものではありません。ましてや、政治倫理制度は国会対策や政治抗争などに利用しないためにつくられたものです。従って、岡田幹事長が「国会対策のため、小沢さんに自ら政治倫理審査会に出てもらう」という発言には問題があります。それを行政の長である貴方が感情的で恐喝的強要を行っている。小沢さんの人権を侵害していると同時に、国会でやることに対する重大な干渉です。
メディアや有識者の多くは「小沢排除」で、既得権で生きる人たちですから、貴方と感性は同じで「社会心理的暴力行為」といえます。
これは法律による権利を侵害するファシズムです。
2、小沢さんは貴方の強要に対して、弘中弁護団長の記者会見の要旨を説明し、「司法手続に入った段階で出席することは避けたい」と断りました、貴方は「小沢さんは拒否した」とマスコミにコメントして、「小沢悪人論」を印象づけ、さらに、あらかじめ調べてきた資料を使って、「政治倫理審査会でも裁判中に出席した議員がいる」と言い、平成八年の加藤紘一氏の例を挙げ小沢さんに出席を強要したようですね。貴方の説明は間違いですよ。加藤さんは裁判が終了したから出席したのです。貴方は言葉のすり替えの天才ですね。「裁判後」を「裁判中」と故意に言葉をすり替えたうえで、相手に強要していく。これが貴方の政治手法で、国民はこのやり方に反発しているのですよ。
3、それでも小沢さんは応じない。そこで20日の民主党役員会で、枝野幹事長代理が小沢さんの国会招致を野党と同じ「証人喚問で」と発言したようですね。貴方もその検討を指示したと報道されています。貴方たちは正気ですか。憲法による国会運営の基本をまったく知らないようですね。枝野さんも仙谷さんも弁護士でしょう。
よく司法試験をパスしたと感心します。
念のために申し上げますが、憲法の圧倒的多数説は「裁判継続中の事件で、被告や裁判官を証人喚問することは許されない」というものです。その件で国会議員を証人喚問したことはありません。例外として民間人を証人喚問した例が二件あります。
(イ)、平成九年の泉井証人で、山崎拓議員に資金を渡したとの記者会見を国会の証言で確認しようというものでした。
(ロ)、三木証人(山一証券元社長)は、倒産の社会的責任と政界対策が問題でした。
貴方は、野党が小沢さんの証人喚問を要求しているのは、民間人の例があるから、民主党がその気になれば出来るとの意向のようですね。そんな三百代言政治は止めるべきですよ。もし強行すれば国会の自殺行為です。小沢さんを国会に招致すべしとの世論の実体は、私に言わせれば「社会心理的暴力装置である巨大マスメディア」がつくりだしたものです。それを今、内閣総理大臣が悪用しているわけで、証人喚問となれば国会が乱用することになります。そもそも小沢さんを証人喚問する理由づけに正当性はなく、さらに憲法の運用に著しく反します。完全な、「メディア・ファシズム」です。
あっ、そうそう、大事なことを忘れていました。貴方は10月7日の起訴議決後に、小沢さんが「国会が求めるなら出席して説明する」と記者団に語ったことを取り上げて、「国民との約束を守れ」と強要したようですね。確かに小沢さんの発言は検察審査会が二度目の起訴議決を発表した後でした。しかしその後、起訴議決無効の行政訴訟などを行い現在では裁判のための調査が始まり、近々裁判が始まるという状況です。自分に都合のよい情報だけで、物事を推し進めようとすることは、為政者の資格はありませんね。もっと事態の本質と動きを理解すべきです。
最後に申し上げたいことは、貴方の失政は沢山ありますが、最大の憲法政治の汚点は「尖閣列島沖の中国漁船問題」です。逮捕した中国人船長を「沖縄地検の判断で釈放した」とは、政府の公式発表ですが、私は嘘言だと思います。釈放の理由は検察権を超えたもので、明かな憲法違反です。これを政治が放置しておくことは、わが国の国家機能が不全であることを放置しておくことと同じです。
そこでこの問題の真相を解明することが、わが国の国際的信用と国内的統治の原点と思います。貴方や仙谷官房長官の国会答弁は虚偽だと私は思います。
年明けの政治の始まりはこの問題からです。自民党も公明党も国家のあり方という基本問題ではなく、小沢国会招致という内向きの国会対策のやりとりしかできない政治家ばかりになって残念です。国会で証人喚問されなければならないのは小沢さんではありません。中国人漁船長を釈放する指揮権を発動したのは貴方かどうか、菅直人総理大臣こそ証人喚問されなければならない問題です。
平野貞夫
私もご多聞にもれず、マスコミの繰り返す報道により、ずいぶん長い間、小沢一郎さんをイメージだけで悪い政治家だと思っていました。ただ、あの面構えが大好きで、感覚的にはとても好きな政治家ではあったのですが、「これだけ、マスコミから叩かれるんだからよっぽど悪いことをした人なんだろうな」と、勝手に決めていました。
それにしても、ほかの政治家にもそんな人がいるはずなのに、なぜ、小沢一郎さん一人だけをマスコミはこれだけ繰り返し、長期間、しかも同じ題目を唱えてとりあげるのか、だんだん不思議に不審に思い始めたこととが漠然と根底にありました。
決定的に、政治に積極的な興味を持ち始めたきっかけは、この世でもっとも敬愛する友人が茶話の中で政治の話に触れたことに、私が「政治にはあまり興味ないんだよね」と返したとき、「どんな難しい言葉で飾られた法案であっても、すべて我々の生活、この目の前にある飲み物にもきっちりリンクしているんやで。政治は生活にまっすぐ直結している。政治に興味がないことは生活に興味がないいうこと、それはいい換えれば、人生に興味がないということになるよ」と言われたことです。
その興味とともに、小沢一郎さんがこれだけマスコミに叩かれている理由を、テレビから流れてくる情報ではなくて、能動的に、なぜなのかを主にネットや、ネットを通して知った著書を読むことによって日本はとんでもない不幸なしくみの中にいることを知りました。具体的に理解できたのは、副島隆彦氏の著書によります。
真実を知ろうとしない、あるいは、今テレビでみのもんたが毎朝話していることが真実だと信じて疑わない国民の「素直さ、愚鈍さ、怠慢さ」をいいことに、現在、日本は明治維新、いや、律令政治が始まった700年代から、既得権益を守りたい人が、長くそれを守れるシステムになっていることが、ひとつを紐解けばするすると、氷が解けるように見えてきました。
そして、今では、小沢一郎さんのみが、今、日本を本当の意味で、アメリカから独立させ、国民主権の(要するに民主主義)を勝ち得ることに導く政治家だと、確信しています。
小沢さんを総理大臣にすることで、現在日本が罹患している多くの病気が治ると思っています。現に小沢さんが主になって作った民主党のマニフェストは、クロスオーナーシップの廃止、電波権のオークション制の導入、記者会見のフルオープンなど、既得権益保持者(ここでは大マスコミ)にとっては脅威でありこれまでの長い自民党政治ではタブーだったことが織り込まれています。
総理になることが国民を幸せにする政治を実現する「手段」ではなくて、「目的」であり、今はそれにしがみつくことしか考えていないと思える菅直人が首相になってから、自民党政権よりも醜悪な政治が始まったしまったことが明らかになった9月の民主党代表選挙において、魂を売ったのか、思い上がっているのか、理由はどうあれ、菅さんに投票した民主党議員を、信用しません。
今、衆議院が解散総選挙になれば、香川には投票したいと思う候補者が一人もいないのが、悩みです。
30年も前から、小沢一郎に心酔し、身を呈して用心棒にすらなっている平野貞夫さんを代表とする日本一新の会が最近結成されたことから、私も入会して毎週メルマガを購読するようになりました。
今日届いたメルマガの記事をみて、「拡散希望」とあったので、今日本がおかれている本当の姿を一人でも多くの人に気づいてもらうことに自分も微力を尽くしたいと思っていたこともあるので、こちらに転載することにしました。ちょっと「あれ?」と思えるような乱暴な段落もありますが、ご紹介します。
これもひとつの、「マロンの冒険」であります。
http://www.ustream.tv/recorded/11595483 ←こちらは、戦うフリージャーナリスト岩上安身さんのUstインタビュー ゲストは小沢一郎さん
小沢一郎さんは、20年も前から、記者会見を、記者クラブだけに閉じることなく、完全にフリーに公開していた唯一(たぶん、いや、違う、亀井静香さんがいた!)の政治家です。
以下、平野貞夫さんによる今日とどいたメルマガです。
◎菅首相への手紙
拝啓 ご無沙汰しています。臨時国会が終わって、テレビでの様子をうかがうと随分とお元気そうで何よりです。
電波料金オークションを諦めたようですが、さぞかし、テレビ各社の評判がよろしいでしょう。パフォーマンスが多くなりましたね。これからは支持率も上がってくるでしょう。メディア・ファシズムで白痴化した国民が多くなりましたので期待できますね。
それにしても、私達にはない貴方の才能には驚きます。縁のあった人やお世話になった人たちを、ことごとく裏切り、嘘言を気にせず堂々と世の中を渡り、日本国の内閣総理大臣に就任されたことです。
市川房江先生は彼の世でなんと言っているでしょうか。これからは、貴方がこれまで人々に与えた嘘言や不信感がはね返ってきます。
そこで今日は、貴方が困っている問題について、かつてのように直言しますので参考にして下さい。
(貴方は憲法政治をほとんど知りませんね。)
小沢さんを国会に招致して「政治と金」について説明させたいようですが、果たしてそれで支持率が上がりますか。私は小沢さんと30年以上付き合っていて、不法な金や不正な金に、一切関わっていないことを知っています。旧新生党の資金や公金を私物化したと、貴方が批判したとの報道がありましたが、自民党が、政権を奪われた恨みでとやかく言うのならともかく、貴方が目くじらを立てるのは理解できません。
小沢さんは国家と国民のため、日本に真の民主政治を実現しようと、法律の許す範囲で蓄積してきたのです。貴方と違って、小沢さんは自分に異常な政権欲がない人で、この国と他人様のためという信条で合法的な資金を大事にし、ここが日本の民主政治にとって「関ヶ原」というところで勝負したのであり、貴方のグループの人などにも配分しています。
一昨年来、麻生自民党政権が民主党に政権を渡すまいと「日干し作戦」をとり、民主党では事務所費が払えない候補者、供託金すらも準備できない人が多数いたことを、自分のことしか考えない貴方は知らなかったのでしょうね。選挙での台所役というのは大変ですよ。あの資金があったからこそ政権交代ができた、と私は確信していますよ。このことは、政治について常識のある人なら理解していただけるはずです。
さて、貴方が拘っている小沢さんの国会招致ですが、12月20日には、一時間半も二人で話したようですね。報道を見るかぎり、貴方は「政治倫理審査会」について、「何も知らないな」と感じました。
そこで、私は衆議院事務局にいるとき、政治倫理制度をつくる担当課長でしたから、基本的なことを説明しておきましょう。
1、貴方は小沢さんに「自ら審査会に出て疑惑を説明しろ」と、規程第二条の二にもとづく対応を強要したようですが、これは小沢さん本人がどう考えるかを前提にしたものです。個人の倫理観にもとづく人権として設けたものです。従って、国会とか党といった組織が強要すべきものではありません。ましてや、政治倫理制度は国会対策や政治抗争などに利用しないためにつくられたものです。従って、岡田幹事長が「国会対策のため、小沢さんに自ら政治倫理審査会に出てもらう」という発言には問題があります。それを行政の長である貴方が感情的で恐喝的強要を行っている。小沢さんの人権を侵害していると同時に、国会でやることに対する重大な干渉です。
メディアや有識者の多くは「小沢排除」で、既得権で生きる人たちですから、貴方と感性は同じで「社会心理的暴力行為」といえます。
これは法律による権利を侵害するファシズムです。
2、小沢さんは貴方の強要に対して、弘中弁護団長の記者会見の要旨を説明し、「司法手続に入った段階で出席することは避けたい」と断りました、貴方は「小沢さんは拒否した」とマスコミにコメントして、「小沢悪人論」を印象づけ、さらに、あらかじめ調べてきた資料を使って、「政治倫理審査会でも裁判中に出席した議員がいる」と言い、平成八年の加藤紘一氏の例を挙げ小沢さんに出席を強要したようですね。貴方の説明は間違いですよ。加藤さんは裁判が終了したから出席したのです。貴方は言葉のすり替えの天才ですね。「裁判後」を「裁判中」と故意に言葉をすり替えたうえで、相手に強要していく。これが貴方の政治手法で、国民はこのやり方に反発しているのですよ。
3、それでも小沢さんは応じない。そこで20日の民主党役員会で、枝野幹事長代理が小沢さんの国会招致を野党と同じ「証人喚問で」と発言したようですね。貴方もその検討を指示したと報道されています。貴方たちは正気ですか。憲法による国会運営の基本をまったく知らないようですね。枝野さんも仙谷さんも弁護士でしょう。
よく司法試験をパスしたと感心します。
念のために申し上げますが、憲法の圧倒的多数説は「裁判継続中の事件で、被告や裁判官を証人喚問することは許されない」というものです。その件で国会議員を証人喚問したことはありません。例外として民間人を証人喚問した例が二件あります。
(イ)、平成九年の泉井証人で、山崎拓議員に資金を渡したとの記者会見を国会の証言で確認しようというものでした。
(ロ)、三木証人(山一証券元社長)は、倒産の社会的責任と政界対策が問題でした。
貴方は、野党が小沢さんの証人喚問を要求しているのは、民間人の例があるから、民主党がその気になれば出来るとの意向のようですね。そんな三百代言政治は止めるべきですよ。もし強行すれば国会の自殺行為です。小沢さんを国会に招致すべしとの世論の実体は、私に言わせれば「社会心理的暴力装置である巨大マスメディア」がつくりだしたものです。それを今、内閣総理大臣が悪用しているわけで、証人喚問となれば国会が乱用することになります。そもそも小沢さんを証人喚問する理由づけに正当性はなく、さらに憲法の運用に著しく反します。完全な、「メディア・ファシズム」です。
あっ、そうそう、大事なことを忘れていました。貴方は10月7日の起訴議決後に、小沢さんが「国会が求めるなら出席して説明する」と記者団に語ったことを取り上げて、「国民との約束を守れ」と強要したようですね。確かに小沢さんの発言は検察審査会が二度目の起訴議決を発表した後でした。しかしその後、起訴議決無効の行政訴訟などを行い現在では裁判のための調査が始まり、近々裁判が始まるという状況です。自分に都合のよい情報だけで、物事を推し進めようとすることは、為政者の資格はありませんね。もっと事態の本質と動きを理解すべきです。
最後に申し上げたいことは、貴方の失政は沢山ありますが、最大の憲法政治の汚点は「尖閣列島沖の中国漁船問題」です。逮捕した中国人船長を「沖縄地検の判断で釈放した」とは、政府の公式発表ですが、私は嘘言だと思います。釈放の理由は検察権を超えたもので、明かな憲法違反です。これを政治が放置しておくことは、わが国の国家機能が不全であることを放置しておくことと同じです。
そこでこの問題の真相を解明することが、わが国の国際的信用と国内的統治の原点と思います。貴方や仙谷官房長官の国会答弁は虚偽だと私は思います。
年明けの政治の始まりはこの問題からです。自民党も公明党も国家のあり方という基本問題ではなく、小沢国会招致という内向きの国会対策のやりとりしかできない政治家ばかりになって残念です。国会で証人喚問されなければならないのは小沢さんではありません。中国人漁船長を釈放する指揮権を発動したのは貴方かどうか、菅直人総理大臣こそ証人喚問されなければならない問題です。
平野貞夫
2010年02月09日
当てられる順番
おはようございます。にわか政治ウォッチャーのマロンです。
ひさしぶりに我が家に平和が戻ってきた今朝は、ひとりで玉露を飲みながら、小沢一郎民主党幹事長の定例記者会見を視聴しております。
http://asx.pod.tv/dpj/free/2010/20100208ozawa_v300.asx
オザワ贔屓なマロンのめがねにはちょっと度が入っていることも否めないながら、率直な感想として、小沢さんは非常にわかりやすい説明をされる人だと思います。多くの説明者のそれはこの全く逆で、簡単に説明できることを何か本質をみえにくくするために意図的にわざわざ難しく言っているのではと疑問を抱いてしまうことがしばしば。
長く「小沢は黒」を想像させる世論操作をしてきた大報道機関からの相変わらずの<アホ(失礼)の一つ覚え>のような「説明責任」だの「責任の取り方」だの「国民の70パーセントは辞任すべきとの結果が」等の質問に対しての小沢さんのお返事は、
「強制捜査まで受けて2度も事情聴取を受けて不起訴になったわけでこれ以上の説明は事実上困難です」
「あなたがたが今度は、今回の捜査で潔白だとわかった小沢は潔白だったと一ヶ月間報道をしてくれた後に再度世論調査をしたらコメントします」
という返す刀も弱すぎず強すぎずでもちゃんと相手の急所を刺してる。
簡単な冒頭の挨拶の後に記者からの質問の時間となるのですが、1番目に指名を受けたのが朝日新聞、最後から3番目が共同通信、最後から2番目がテレビ東京の女性記者、そして最後にようやく順番が回ってきたのがあの上杉隆さんでした。
彼のコメントは、世論調査のメディアによるギャップの報告、また、彼が粘り強く10年来訴え続けているという「記者クラブの解体」に通じるものでした。
それにしても大新聞が足並みをそろえたように実施した世論調査では「小沢さんは幹事長を辞任すべき」は70%台。変わってラジオやネットでの世論調査では「小沢さんは続投すべき」がこれまた70%台というのはどういうことなんだろう。調査の対象が変わるとこうも世論って変わるものなのかと驚きます。
100年後の日本史に「あの時日本を救ったのは上杉隆だった」と記述されていたりして。
親新聞からの圧力でさすがの週刊朝日の論調もちょっとトーンダウンしているという噂がありますが、今週も週間朝日買おうっと!
会見の模様はこちらからどうぞ。
大報道機関の記者の人に対するまなざしと、脇へ追いやられがちなフリーランスのジャーナリストに対する小沢さんの眼差しの暖かさの違い、、みたいなものもお楽しみください。
ちなみに
「小沢一郎が好きです」ではyahoo検索で上から10位
「むかしから小沢一郎が好きです」では、なんと1位に、「マロンの冒険」が表示されることを発見。
※そんな暇なことする時間があれば、これとこれのお返事と宿題をやってからにしてね、、という声が聞こえたような気がするのでこの辺で。
今日は豊島アフタヌーンバーは臨時休業です。
午後から「まちうた」の取材ひさしぶりにカンチャンの生new worldを聴きご尊顔を仰ぐためです。
予約はなかったのですが、来てくださるご予定だった方、すみません。
休業営業日のお問い合わせは09043363104までどうぞ。
今日の収録が編集された後、近いうちにvol.1~vol.4で完結される「まちうた」のちょこっとダイジェストがOHKで見ていただけますよ!
vol.4(今度は人気オペラバンド・アウローラが高松のまちうたを歌います)のことは後ほど詳しくご紹介したいと思っています。
それにしても、いいお天気だな~♪
ひさしぶりに我が家に平和が戻ってきた今朝は、ひとりで玉露を飲みながら、小沢一郎民主党幹事長の定例記者会見を視聴しております。
http://asx.pod.tv/dpj/free/2010/20100208ozawa_v300.asx
オザワ贔屓なマロンのめがねにはちょっと度が入っていることも否めないながら、率直な感想として、小沢さんは非常にわかりやすい説明をされる人だと思います。多くの説明者のそれはこの全く逆で、簡単に説明できることを何か本質をみえにくくするために意図的にわざわざ難しく言っているのではと疑問を抱いてしまうことがしばしば。
長く「小沢は黒」を想像させる世論操作をしてきた大報道機関からの相変わらずの<アホ(失礼)の一つ覚え>のような「説明責任」だの「責任の取り方」だの「国民の70パーセントは辞任すべきとの結果が」等の質問に対しての小沢さんのお返事は、
「強制捜査まで受けて2度も事情聴取を受けて不起訴になったわけでこれ以上の説明は事実上困難です」
「あなたがたが今度は、今回の捜査で潔白だとわかった小沢は潔白だったと一ヶ月間報道をしてくれた後に再度世論調査をしたらコメントします」
という返す刀も弱すぎず強すぎずでもちゃんと相手の急所を刺してる。
簡単な冒頭の挨拶の後に記者からの質問の時間となるのですが、1番目に指名を受けたのが朝日新聞、最後から3番目が共同通信、最後から2番目がテレビ東京の女性記者、そして最後にようやく順番が回ってきたのがあの上杉隆さんでした。
彼のコメントは、世論調査のメディアによるギャップの報告、また、彼が粘り強く10年来訴え続けているという「記者クラブの解体」に通じるものでした。
それにしても大新聞が足並みをそろえたように実施した世論調査では「小沢さんは幹事長を辞任すべき」は70%台。変わってラジオやネットでの世論調査では「小沢さんは続投すべき」がこれまた70%台というのはどういうことなんだろう。調査の対象が変わるとこうも世論って変わるものなのかと驚きます。
100年後の日本史に「あの時日本を救ったのは上杉隆だった」と記述されていたりして。
親新聞からの圧力でさすがの週刊朝日の論調もちょっとトーンダウンしているという噂がありますが、今週も週間朝日買おうっと!
会見の模様はこちらからどうぞ。
大報道機関の記者の人に対するまなざしと、脇へ追いやられがちなフリーランスのジャーナリストに対する小沢さんの眼差しの暖かさの違い、、みたいなものもお楽しみください。
ちなみに
「小沢一郎が好きです」ではyahoo検索で上から10位
「むかしから小沢一郎が好きです」では、なんと1位に、「マロンの冒険」が表示されることを発見。
※そんな暇なことする時間があれば、これとこれのお返事と宿題をやってからにしてね、、という声が聞こえたような気がするのでこの辺で。
今日は豊島アフタヌーンバーは臨時休業です。
午後から「まちうた」の取材ひさしぶりにカンチャンの生new worldを聴きご尊顔を仰ぐためです。
予約はなかったのですが、来てくださるご予定だった方、すみません。
休業営業日のお問い合わせは09043363104までどうぞ。
今日の収録が編集された後、近いうちにvol.1~vol.4で完結される「まちうた」のちょこっとダイジェストがOHKで見ていただけますよ!
vol.4(今度は人気オペラバンド・アウローラが高松のまちうたを歌います)のことは後ほど詳しくご紹介したいと思っています。
それにしても、いいお天気だな~♪
2010年02月01日
民主党小沢幹事長定例記者会見本日17時~こちらから
2010年01月20日
水平線の少し先を見るのではなく
このところ、少し自分の身の丈を超えた作業をしています。
なので、ところどころ判断を誤って勇み足になったり、早とちりをしたり。。
このことを通じてあるとびきり魅力的なリーダーとご縁ができたのはいいのですが、マロンの勇み足が原因しで仕切り直しが必要となって、リーダーにご迷惑をかけてしまうことがありました。
そのお詫びとご報告のメールをしたところ、
「あまり、無理をせず、後々良い形で残るようなシステム構築を考えながら、結論を出してください。
わたしの方は、まったく問題ありません。
水平線の少し先を見るのではなく、それこそ、坂の上の雲をみながら、進めていければいいですね。」
というお返事を戴きました。
メールの言葉にこれほど勇気づけられ、元気をもらえたことは、初めてです。
ありがとうございました。
なので、ところどころ判断を誤って勇み足になったり、早とちりをしたり。。
このことを通じてあるとびきり魅力的なリーダーとご縁ができたのはいいのですが、マロンの勇み足が原因しで仕切り直しが必要となって、リーダーにご迷惑をかけてしまうことがありました。
そのお詫びとご報告のメールをしたところ、
「あまり、無理をせず、後々良い形で残るようなシステム構築を考えながら、結論を出してください。
わたしの方は、まったく問題ありません。
水平線の少し先を見るのではなく、それこそ、坂の上の雲をみながら、進めていければいいですね。」
というお返事を戴きました。
メールの言葉にこれほど勇気づけられ、元気をもらえたことは、初めてです。
ありがとうございました。
タグ :坂の上の雲
2009年10月09日
臨時・加藤サロンのご案内

突然ですが、10月10日(土)のランチタイム+αの時間帯に、構想日本の代表の加藤秀樹さん(行政刷新会議事務局長)を囲むサロンを開催することになりました。
今年3月に兵庫町のニューギンザで実施した第一回加藤サロンでは、とかく難しく議論して迷宮に入ってしまいがちな話を、小気味よく解りやすくお話くださいました。
今回、四国村での民具展のオープニングのために理事長として帰県されている機会に、前回のサロンに参加したくでもできなかった方、もっとお話してみたかった方、また、この12日に高松市役所で開催される「事業仕分け」についてどうしてもお聴きしてみたいことのある方を対象に、加藤さんを囲んでの有意義なランチ&お茶の時間を作ることができたらと思っております。
時間は12時すぎくらいから14時か15時頃の間、場所は〒760-0080高松市木太町4637-3(春日川下流)のカレントスタイル(ここの2階 about usをご参照ください)。
※コトデン志度線春日川駅下車徒歩3分。駐車場あり。
お一人お一人とじっくり話していただくために先着10人の方で締め切らせていただきたいと思います。
つきましては、同時間帯にお時間が調整できて、臨時加藤サロンが実施されるならば参加したいとご希望の方は、マロンアルファーへの「オーナーへのメッセージ」にてご連絡ください。
参加費は、2000円(牡蠣とホウレンソウのパスタ+サラダ+牛肉タタキ+バケット+ワインかお茶代込み)を集めさせていただく予定です。
この企画は、先刻急に決まった計画ゆえ、加藤さんが午前の飛行機を夕方便に変更できたら(明朝の作業)ということなので、実現率はまだ80%くらいの確率です。万一加藤さんが来られなければ「単なるランチ&茶話会」になることも予めご了承くださいませ<(_"_)>
2009年09月30日
構想日本の事業仕分 ついに高松市でやるそうですよ!
わが心のボス、加藤秀樹さん(四国村理事長)率いる「構想日本」は、日本で唯一の政策を作ることのできる完全独立のシンクタンクです。
構想日本での実質的活躍が認められ、先ごろ行政刷新会議事務局長に起用されました。
これまで国、県、市に関わらず、行政のこの仕事は本来こちらへ、これは民間へ、これは統合し、これはいらない、といった感じでどんどんと「仕分け」ていく地道な作業からしか、今の日本がかかっている病気を根治することはできない。といったスローガンでこれまでいくつもの自治体の仕組みや仕事に「完全公開の場で」メスを入れて、膿を出し、「歳出減」を現実的に生み出す結果を出してこられました。

加藤さんのおひざ元である、香川県や高松市は、かえってやりにくいはずなので、ほとんどの自治体の事業仕分が終わりそうなころにようやく腰を上げるんだろうなあ。。。とかってに想像しておりました。
が。。
先刻、敬愛するC女史より「高松市役所で事業仕訳決定」の情報をいただいて、確認したところでございます。
詳細はこちら
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/12326.html
事業仕分の詳細はこちらです
http://www.kosonippon.org/shiwake/
マロンも万障繰り合わせていきますので、みなさんもご一緒に~
この際だから、香川県もしてほしいですね♪
構想日本での実質的活躍が認められ、先ごろ行政刷新会議事務局長に起用されました。
これまで国、県、市に関わらず、行政のこの仕事は本来こちらへ、これは民間へ、これは統合し、これはいらない、といった感じでどんどんと「仕分け」ていく地道な作業からしか、今の日本がかかっている病気を根治することはできない。といったスローガンでこれまでいくつもの自治体の仕組みや仕事に「完全公開の場で」メスを入れて、膿を出し、「歳出減」を現実的に生み出す結果を出してこられました。

加藤さんのおひざ元である、香川県や高松市は、かえってやりにくいはずなので、ほとんどの自治体の事業仕分が終わりそうなころにようやく腰を上げるんだろうなあ。。。とかってに想像しておりました。
が。。
先刻、敬愛するC女史より「高松市役所で事業仕訳決定」の情報をいただいて、確認したところでございます。
詳細はこちら
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/12326.html
事業仕分の詳細はこちらです
http://www.kosonippon.org/shiwake/
マロンも万障繰り合わせていきますので、みなさんもご一緒に~
この際だから、香川県もしてほしいですね♪
2009年01月15日
「構想日本」の代表と語る会「加藤サロン」へのご案内

屋島にある民家博物館「四国村」の理事長である加藤秀樹さんは、知る人ぞ知る「構想日本」の代表でもあります。
構想日本とは、企業や政府など、どこの団体にも属さない(よって、活動を制限されることのない)シンクタンクです。
http://www.kosonippon.org/
構想日本の大きな仕事の一つに「事業仕分け」というものがあります。
http://www.kosonippon.org/book/book9.php
事業仕分けとは、(私の理解では)、国、県、市町村などの「税金で運営されている団体」からの要請により、チームで赴き、その団体の人口規模や自然環境などのさまざまな情報を精査するところから始まって、その上で、この団体を運営するために必要な役場のセクションや仕事、必要人員を検討し、現在の役所の現状のどことどう違うかを洗い出し、結果的にどうすれば税金の無駄遣いをストップできるか、等を、公開の場所で実施する作業をいいます。
すでに、26の自治体で28の事業仕分けを行っており、平均して1割強の歳出減に成功しています。昨年は文部科学省や外務省にも着手し、その成果は新聞でも大きく報道されました。
加藤さんはこの他に慶応大学の教授、東京財団の会長など多くの重職を兼任しているため、高松に頻繁には帰って来られませんが、四国村の理事長(責任者)でもあり、ご両親の住まわれる御実家が高松にあるため、東京に行きっぱなしではなく、香川にも常に繋がっている方です。
私は一昨年より、いつもご指導いただいている師匠のご紹介により四国村の活性化のお手伝いをさせていただいていますが、たまたまボス(加藤さん)を捕まえることができて、直接お話ができた時などは、頭をポジティブに活性化する底知れない元気をたくさんもらうことができます。これをたまたまご縁があった自分だけで味わうのはもったいないと常々思っておりました。
そして、四国村の活動をしていく中で出会う人出会う人、加藤さんと直接お話してみたいとおっしゃる方が県内にも多くいらっしゃることを知り、いつか加藤さんを囲むサロンのようなものができたらいいな、、と想像を繰り返しておりました。
先日、打ち合わせの折にようやくこのことを提案することができまして、今回初めて、下記の日程にて「加藤サロン」を実施してみることになりましたのでご案内します。
四国村のことだけではなく、香川はこれからどうあるべきか、どうなりたいのか、そのためには何が必要で何が不必要なのか、、といったお話、その他いろいろな興味深いお話ができたらと思っています。
加藤さんは特に、これからの香川、四国、日本、世界を担う若い人達とお話をされたいと思っておられるようですので、若い方が参加しやすい会場を設定しました。(若いという定義は人それぞれですので、ご自身が若いと思われていたら結構です)
つきましては、ご興味のある方は是非ご参加表明をお願いいたします。
記
加藤サロン in 高松
日 時:2009年3月27日(金)午後6時〜
場 所:ニューギンザ(高松市兵庫町)
会 費:2000円(軽食、ツードリンク付き)
※3杯目以降はキャッシュオンデリバリーで各自ご注文をお願いします。
定 員:20名(先着順)
プログラム:
午後6時〜午後6時半 開会 参加者自己紹介(食べながら)
午後6時半〜午後7時半 構想日本の紹介 (加藤さんによる)
午後7時半〜午後8時半 参加者とのトークセッション(飲みながら)
申込方法:このブログへのコメント、オーナーへのメッセージ、または、マロンまで直接お電話で(ご存知の方は)お願いします。
2009年01月12日
美女子のブログ

最近マイブームのブログをご紹介します。
書いているのは、愛くるしい20代の正真正銘の美女子Y氏。
美女子とくれば、やたら可愛っちい文章を想像してしまいますが、
違います。
肩の力抜けてます。
20代とは思えない枯れた切り口とテンポが小気味よいのです。
読み始めたら完全に彼女のペースにはまっているご自身を実感していただけるでしょう。
特に、フクロウの靴べらの記事は秀逸。
では、どうぞ♪
↓
http://blog.livedoor.jp/rubiy/
2009年01月06日
中坊さんに、会いたい
今日は、午後から瀬戸内海関連のミーティングがあって、参加させていただいておりました。
考えることがたくさん会でした。
その後、ある人と話をして、いろいろ考えているうちに、
自分の目の黒いうちに、中坊公平さんに会っておかなければ!
という考えが頭に浮かんで消えなくなってしまいました。
豊島事件を奇跡の最終合意に導いた方、
森永ヒ素ミルク事件や、豊田商事事件など
他の全国の公害事件も被害者側に立って全力で戦った方、
こんな人もいました。
http://homepage3.nifty.com/dannkai/dankai/dankai51.htm
第1487回
こんな証言もありました。
http://www.niji.or.jp/chirorin/MENU/TESIMA/SAKEBI/sakebi-3.html
現代の日本では、真の正義は、抹殺されてしまうのでしょうか。
私は、あらゆる方法を駆使して、中坊さんに会いたいと思います。
お目にかかれた暁には、マロンの潮風radioへの出演をお願いしようと考えています。
以上、本日の妄想でした!
考えることがたくさん会でした。
その後、ある人と話をして、いろいろ考えているうちに、
自分の目の黒いうちに、中坊公平さんに会っておかなければ!
という考えが頭に浮かんで消えなくなってしまいました。
豊島事件を奇跡の最終合意に導いた方、
森永ヒ素ミルク事件や、豊田商事事件など
他の全国の公害事件も被害者側に立って全力で戦った方、
こんな人もいました。
http://homepage3.nifty.com/dannkai/dankai/dankai51.htm
第1487回
こんな証言もありました。
http://www.niji.or.jp/chirorin/MENU/TESIMA/SAKEBI/sakebi-3.html
現代の日本では、真の正義は、抹殺されてしまうのでしょうか。
私は、あらゆる方法を駆使して、中坊さんに会いたいと思います。
お目にかかれた暁には、マロンの潮風radioへの出演をお願いしようと考えています。
以上、本日の妄想でした!
2008年12月15日
ありがたいのともったいないのと
マロンの最も尊敬する人の一人に、OL時代から、立場は変わりましたが今も今週二回お手伝いをさせていただいているボスがいます。
以前から、マロンの潮風radioに出ていただきたいと画策していましたものの、世界の超音波医学の父で超一流の学者でもあるボスに、あまりにも厚かましい、、とずっと躊躇していたのですが、何週間か前にランチにお伴したときに、ついぽろっとお願いしてしまいました。
先生はしばらく考えて、12月なら、とおっしゃって快諾してくださいました。
先週の金曜日に、番組の時間コンテをお渡しして、「必ずお話していただきたい内容と流したい曲をどこに入れるか」だけを教えてくださいとお願いしたところ、
今朝、来てみたらデスクの上に、とても丁寧に直筆で書かれた原稿がおかれていました。
最後の締めくくりの臨済宗禅師の言葉を見たとたんに、先生から見たらどう考えても足許よりももっと下の方にいるはずの自分のようなものからの依頼事項にも、こんなに誠心誠意に応えてくださろうとする、その姿勢そのものが、「随所に主たれ」という言葉に表されている、と思ったと同時に、すべての始まりはこの先生のところに赴任したときだったことを思い出して、
ありがたくて、もったいなくて、朝から目が真っ赤になってしまいました。
木曜日の潮風radio 、私も誠心誠意、臨むつもりです。
以前から、マロンの潮風radioに出ていただきたいと画策していましたものの、世界の超音波医学の父で超一流の学者でもあるボスに、あまりにも厚かましい、、とずっと躊躇していたのですが、何週間か前にランチにお伴したときに、ついぽろっとお願いしてしまいました。
先生はしばらく考えて、12月なら、とおっしゃって快諾してくださいました。
先週の金曜日に、番組の時間コンテをお渡しして、「必ずお話していただきたい内容と流したい曲をどこに入れるか」だけを教えてくださいとお願いしたところ、
今朝、来てみたらデスクの上に、とても丁寧に直筆で書かれた原稿がおかれていました。
最後の締めくくりの臨済宗禅師の言葉を見たとたんに、先生から見たらどう考えても足許よりももっと下の方にいるはずの自分のようなものからの依頼事項にも、こんなに誠心誠意に応えてくださろうとする、その姿勢そのものが、「随所に主たれ」という言葉に表されている、と思ったと同時に、すべての始まりはこの先生のところに赴任したときだったことを思い出して、
ありがたくて、もったいなくて、朝から目が真っ赤になってしまいました。
木曜日の潮風radio 、私も誠心誠意、臨むつもりです。

2008年11月25日
讃岐コード

昨夜はトキワラジオ、ミゾレショウでPAのお稽古(先生・まなちゃん)の後、翌朝から出発の「瀬戸内シーカヤック横断隊」の壮行会に非常食(チョコレート)の差し入れに連れてってもらいました。
そこで、世にも面白い方と出会ってしまったのです。
その方は今、ダビンチコードを上回るベストセラーになると期待される本を執筆中だそうで、なんでもそれはマクダラのマリアの棺は讃岐のとある建物のとあるものの真下に埋まっていることにまつわる話なんだそうです。
年内に原稿を仕上げられたらと奔走されているようです。
ハーブとカヌーという組み合わせも考案された最高に変な人です。
この方に限らず、変な人が溢れかえっている讃岐は怪しくて面白いところですな〜
2008年11月04日
あんな贅沢なコンサート ~大正浪漫コンサート呈茶記~
11月2日には待ちに待った「大正浪漫コンサート」に行って来ました。
マロンの今回のお役は,呈茶をすることでしたが,
「受付の人手が足らないかもしれないからそっちを手伝ってほしいかも(よってその場合は茶は中止)」とセバリーダーより朝電話をもらったので,どっちに転んでもいいように支度して(父の形見の茶碗数個と茶筅,茶杓,日持ちのするお菓子とともに)出陣いたしました。
選んだ着物は18歳のときに初めて母に作ってもらったものと,帯は持ってる中で一番「大正げな」やつ。これらを組み合わせると「ええ感じの壊れた人妻風」になったと,一人で喜んでいました。
公園に到着したらマイトさんがお着替え処まで案内してくれました。すでにそこは着付けラッシュ状態で,風呂敷もってぼーっとマリリンに見とれてたら,「マロン,着せてあげよか?」ってなんと一番忙しいるいままが着付けてくれました。それが手早いのなんのって。。ありがとうございました(T^T)。
受付では,ぴよちゃんの臨機応変な才能ぶり,慶子さんの春の陽だまりのようなお人柄,そしてクリス親子の可憐さ美しさと仲のよさに大変癒されておりました。
で,「受けつけは十分な人員だな」と昼の部で判断できたので,
「一部と二部の間に,少しでも茶を売ろう」と決め,急遽出先で待機してくれていた茶人仲間の鴨ちゃんに助っ人コールし
いつも無理ばっかりゆーてお世話になってる岡さんに今回も無理ゆーて職員用の厨房を使わせてもらうことにして
萌雅展の幹部の方にも急遽「美しい盆栽の前で,コンサートのお客様にお茶を飲んでいただきたいのですが」とご相談し(相談風景をるいままに激写されてしまいました),協議の結果ご快諾いただきまして
にわか呈茶システムが出来上がりました。
チラシにもお茶のことは掲載しなかったので,即日の張り紙だけで茶券を買ってくれる人がいるのかわかりませんでしたが,,これが結構売れました。
お茶を召し上がった方からは「こんな空間を独り占めしてお茶をいただくのは贅沢の極み」と非常に喜んでいただきました。
忙しいのに,わざわざ作務衣を着て駆けつけてくれた鴨ちゃん,すごく助かりました!ありがとう。
そして美味しいお茶を寄付してくれたくっぴん,ありがとう。
立ったり座ったりお盆を持って走りまわったことから,例の如く裾や帯が「ドレス状態」になってきたな,,と思っていたら,そこへ牡丹色の軽装の麗人がやってきてやおら帯を直してくれました。これがまた見事な手捌きだったので,「お名前を教えてください」と申すと「春日みっちです」とのお返事。。そう,ままのブログでよく出てくる「こんなに美人なのにこんなに面白い」といううわさのかの落語家みっちだったのでした。おかげで最後までドレスにならすにすみました。ありがとうございました。
肝心のコンサートは,昼の部では前半,夜の部では後半,会場に入らせてもらって鑑賞させてもらったのですが。。
こんな贅沢なコンサートは見たことがないと思いました。
幻のように美しいリンダ,三木さんに息を呑み,舞台に魂を完全に同化させていたセバと三木さん(旦那さんの方)の迫力に圧倒され,るいままの朗読に「そういえばままを初めてみたとき(ダッパーの演奏会)この朗読に一耳惚れしたんだった」と思い出し,
「古代の日本も男女関係はなんでもありだと知ったけど,大正時代も みなさん結構本能のまま に生きてらっしゃったんだ」と羨ましくなり,
セバは三枚目な踊りさえ,難なくこなす方なんだ,,と驚き
2歳の子どもを失った母親の気持ちが憑依して,「しゃぼん玉」に涙が止まらなくなりました。
そしてこのコンサートを贅沢だと思った最も大きな理由は,「生」星出先生のおはなしを聞けたことでした。
これまでに二回観たことのある星出先生の指導される舞台でも,先生がお出ましになること,ましてや,私たちに向かって話しかけられたことは,ありませんでした。
セカイノホシデが,今,高松の玉藻公園で,私たちのために舞台を作り,話しかけてくれている,,,奇跡のようなことだったと改めて思います。
星出先生は,構想,準備,指導,ご自身の出演で最もしんどい思いをされている方であるはずなのに,廊下ですれ違う度に,笑顔で声をかけてくださいました。そればかりか,私は見てしまったのです。昼の部の当日券が予想以上に売れたために,準備していた椅子と座布団に座れなくてカーペットの上に座っているお客さんに,先生自ら座布団を運んでいらっしゃる光景を。。。
びっくりしてお手伝いしましたが,,後手もいいところでした。
みなさんがブログに書いているように,舞台や演出の素晴らしさ,出演者の質の高さ,そして,会場に満ちている「心のこもった」雰囲気,,,これの大元は星出先生の,「来てくださったお客様へのあふれんばかりの愛情」から発生していることをヒシヒシと感じました。こんな素晴らしい人がこの世に存在する,香川と縁をもってくださっていることそのものに,頭が下がる思いがしました。
そして,昼の部も夜の部も,会場から出てくるお客様の顔はどの顔もみんな満足そうでした。
コンサートに関わったすべての方々,お疲れ様でした。
るいまま組の機動力とチームワークにはいつものことながら脱帽です。
何より,チケットを買ってくれて会場まで足を運んでくださったお客様,本当にありがとうございました。
おまけ★この日の夜に予定していた打ち上げが延期になったので,着物を着替えずに「壊れた人妻風」のまま息子(なんだかんだと結局私とは行動を共にしてくれなかった)の待つ家に遅めの夕食を作りに帰宅しましたところ,,子どもがいない! 誘拐された?と一瞬あせりましたが,中学の同窓会に旦那が同行させてくれたことを知りほっ。。。(後で聞いたら,二次会のスナックではすべての出席者とデュエットするはしゃぎぶりだったらしい)
一人残された壊れた大正の人妻風のわたくしは,まったく着崩れていない着物を脱ぐのがもったいなくて,そのまま,お店の引けたママさんよろしく一人でふらふらと夜の街に飲みにでかけたのでした。ラフハウスでワインを3杯,,カウンターで隣に座ってくれた色気のある人のギターに陶酔,気がついたら3日続いた偏頭痛と微熱が治ってました!
写真は,クリスのお嬢マリリンの並べた「投票玉」。
A型潔癖症の彼女は,受付が一段落したあたりから,盆栽展の受付テーブルに置いてあった箱にはいった「投票玉」をどうしても規則正しく並べなければ気がすまなくなって,,一心不乱に作業に没頭しはじめたのであります♪

この日クリスと初めてゆっくり話が出来ました。妻と子どもがかわいくて仕方がないやさしいやさしいダーリン。仲良し夫婦が,「子どもたちは自分の思うように好きな場所で羽ばたいて欲しい」というめちゃ素敵な話を聞くことができました。
マロンの今回のお役は,呈茶をすることでしたが,
「受付の人手が足らないかもしれないからそっちを手伝ってほしいかも(よってその場合は茶は中止)」とセバリーダーより朝電話をもらったので,どっちに転んでもいいように支度して(父の形見の茶碗数個と茶筅,茶杓,日持ちのするお菓子とともに)出陣いたしました。
選んだ着物は18歳のときに初めて母に作ってもらったものと,帯は持ってる中で一番「大正げな」やつ。これらを組み合わせると「ええ感じの壊れた人妻風」になったと,一人で喜んでいました。
公園に到着したらマイトさんがお着替え処まで案内してくれました。すでにそこは着付けラッシュ状態で,風呂敷もってぼーっとマリリンに見とれてたら,「マロン,着せてあげよか?」ってなんと一番忙しいるいままが着付けてくれました。それが手早いのなんのって。。ありがとうございました(T^T)。
受付では,ぴよちゃんの臨機応変な才能ぶり,慶子さんの春の陽だまりのようなお人柄,そしてクリス親子の可憐さ美しさと仲のよさに大変癒されておりました。
で,「受けつけは十分な人員だな」と昼の部で判断できたので,
「一部と二部の間に,少しでも茶を売ろう」と決め,急遽出先で待機してくれていた茶人仲間の鴨ちゃんに助っ人コールし
いつも無理ばっかりゆーてお世話になってる岡さんに今回も無理ゆーて職員用の厨房を使わせてもらうことにして
萌雅展の幹部の方にも急遽「美しい盆栽の前で,コンサートのお客様にお茶を飲んでいただきたいのですが」とご相談し(相談風景をるいままに激写されてしまいました),協議の結果ご快諾いただきまして
にわか呈茶システムが出来上がりました。
チラシにもお茶のことは掲載しなかったので,即日の張り紙だけで茶券を買ってくれる人がいるのかわかりませんでしたが,,これが結構売れました。
お茶を召し上がった方からは「こんな空間を独り占めしてお茶をいただくのは贅沢の極み」と非常に喜んでいただきました。
忙しいのに,わざわざ作務衣を着て駆けつけてくれた鴨ちゃん,すごく助かりました!ありがとう。
そして美味しいお茶を寄付してくれたくっぴん,ありがとう。
立ったり座ったりお盆を持って走りまわったことから,例の如く裾や帯が「ドレス状態」になってきたな,,と思っていたら,そこへ牡丹色の軽装の麗人がやってきてやおら帯を直してくれました。これがまた見事な手捌きだったので,「お名前を教えてください」と申すと「春日みっちです」とのお返事。。そう,ままのブログでよく出てくる「こんなに美人なのにこんなに面白い」といううわさのかの落語家みっちだったのでした。おかげで最後までドレスにならすにすみました。ありがとうございました。
肝心のコンサートは,昼の部では前半,夜の部では後半,会場に入らせてもらって鑑賞させてもらったのですが。。
こんな贅沢なコンサートは見たことがないと思いました。
幻のように美しいリンダ,三木さんに息を呑み,舞台に魂を完全に同化させていたセバと三木さん(旦那さんの方)の迫力に圧倒され,るいままの朗読に「そういえばままを初めてみたとき(ダッパーの演奏会)この朗読に一耳惚れしたんだった」と思い出し,
「古代の日本も男女関係はなんでもありだと知ったけど,大正時代も みなさん結構本能のまま に生きてらっしゃったんだ」と羨ましくなり,
セバは三枚目な踊りさえ,難なくこなす方なんだ,,と驚き
2歳の子どもを失った母親の気持ちが憑依して,「しゃぼん玉」に涙が止まらなくなりました。
そしてこのコンサートを贅沢だと思った最も大きな理由は,「生」星出先生のおはなしを聞けたことでした。
これまでに二回観たことのある星出先生の指導される舞台でも,先生がお出ましになること,ましてや,私たちに向かって話しかけられたことは,ありませんでした。
セカイノホシデが,今,高松の玉藻公園で,私たちのために舞台を作り,話しかけてくれている,,,奇跡のようなことだったと改めて思います。
星出先生は,構想,準備,指導,ご自身の出演で最もしんどい思いをされている方であるはずなのに,廊下ですれ違う度に,笑顔で声をかけてくださいました。そればかりか,私は見てしまったのです。昼の部の当日券が予想以上に売れたために,準備していた椅子と座布団に座れなくてカーペットの上に座っているお客さんに,先生自ら座布団を運んでいらっしゃる光景を。。。
びっくりしてお手伝いしましたが,,後手もいいところでした。
みなさんがブログに書いているように,舞台や演出の素晴らしさ,出演者の質の高さ,そして,会場に満ちている「心のこもった」雰囲気,,,これの大元は星出先生の,「来てくださったお客様へのあふれんばかりの愛情」から発生していることをヒシヒシと感じました。こんな素晴らしい人がこの世に存在する,香川と縁をもってくださっていることそのものに,頭が下がる思いがしました。
そして,昼の部も夜の部も,会場から出てくるお客様の顔はどの顔もみんな満足そうでした。
コンサートに関わったすべての方々,お疲れ様でした。
るいまま組の機動力とチームワークにはいつものことながら脱帽です。
何より,チケットを買ってくれて会場まで足を運んでくださったお客様,本当にありがとうございました。
おまけ★この日の夜に予定していた打ち上げが延期になったので,着物を着替えずに「壊れた人妻風」のまま息子(なんだかんだと結局私とは行動を共にしてくれなかった)の待つ家に遅めの夕食を作りに帰宅しましたところ,,子どもがいない! 誘拐された?と一瞬あせりましたが,中学の同窓会に旦那が同行させてくれたことを知りほっ。。。(後で聞いたら,二次会のスナックではすべての出席者とデュエットするはしゃぎぶりだったらしい)
一人残された壊れた大正の人妻風のわたくしは,まったく着崩れていない着物を脱ぐのがもったいなくて,そのまま,お店の引けたママさんよろしく一人でふらふらと夜の街に飲みにでかけたのでした。ラフハウスでワインを3杯,,カウンターで隣に座ってくれた色気のある人のギターに陶酔,気がついたら3日続いた偏頭痛と微熱が治ってました!
写真は,クリスのお嬢マリリンの並べた「投票玉」。
A型潔癖症の彼女は,受付が一段落したあたりから,盆栽展の受付テーブルに置いてあった箱にはいった「投票玉」をどうしても規則正しく並べなければ気がすまなくなって,,一心不乱に作業に没頭しはじめたのであります♪

この日クリスと初めてゆっくり話が出来ました。妻と子どもがかわいくて仕方がないやさしいやさしいダーリン。仲良し夫婦が,「子どもたちは自分の思うように好きな場所で羽ばたいて欲しい」というめちゃ素敵な話を聞くことができました。
2008年10月21日
中川沙綾香展 11月1日より片原町にて

在仏12年目を迎える画家,中川沙綾香の絵画展をサロン・ド・ルビー(高松市片原町9-2-3F)にて開催します。
是非ご鑑賞ください。
中川沙綾香 略歴
1979 香川県に生まれる
1997 県立高松工芸高校美術科卒業
渡仏
トゥールーズ市で私立美術学校や国立美術大学夜間部などで学ぶ
1999 パリの美術学校「ACADEMIE DE PORT-ROYAL」で学ぶ
絵画コンクール(ヴェリエール市主催)入賞
グループ展 ギャラリー「Ombre et lumieres」パリ(三期展示)
2000 「ACADEMIE DE PORT-ROYAL」のコンクールにて準優賞(奨学特待生)
個展 「BAR-BAT」 パリ
第8回「NAC ビエンナーレ展」出品
2001 パリ・ヴァンドーム広場 「Hotel Ritz」でヘミングウェイの肖像画を展示
グループ展 「Saint-Memmie」教会 シャロン・アン・シャンパーニュ市
「サロン・ドートンヌ」(SALON D'AUTOMNE) 招待出品
「ル・サロン」(LE SALON DES ARTISTES FRANCAIS) 入選
「日仏現代作家美術展」(SALON DU BLANC) 東京 新作家賞受賞
2002 二人展 ギャラリー「Clemangis」 シャロン・アン・シャンパーニュ市
コンクール「Salon Francilienne des Jeunes Talents」 ノズィー市 入賞
「Prix des Arts 2002」展(ロータリークラブ主催) ストラスブール市 入選
コンクール「Peintres dans la rue」 パリ20区UDAC 優勝
「ACADEMIE DE PORT-ROYAL」のコンクールにて準優賞 (奨学特待生)
コンクール「La Ville Aux Artistes」 ポンタルリエ市 準優勝
「ル・サロン」(LE SALON DES ARTISTES FRANCAIS)入選
個展 ギャラリー「Salle Suzanne-Tourte」 ランス市
2003 「ACADEMIE DE PORT-ROYAL」のコンクール、日本人初の最優秀賞
第68回 香川県美術展覧会 入選
「ル・サロン」(LE SALON DES ARTISTES FRANCAIS)入選
2004 個展 ギャラリー「ART-K」(ACADEMIE DE PORT-ROYAL主催) パリ
グループ展 高松美術館「高松工芸美術科卒業生の今」
個展 朝日新聞社「サニーホール」 高松
個展 レストラン「L'Aubarede」 パリ20区
二人展 レストラン「Chevreau」 パリ15区
2005 「サロン・ド・デッサン」(Salon du dessin et de la Peinture a l'eau) 出品
グループ展 ギャラリー「Clemangis」 シャロン・アン・シャンパーニュ市
「Prix de peinture Andre et Berthe Nouffland」 パリ 入選
個展 ギャラリー「SAIYU-KI」 東京
個展 ギャラリー「ART SPACE 蒼湖」 香川
2006 個展 レストラン「65th bis」 パリ8区
〃 パリ市グラン・パレ「Salon du Dessin et la Peinture a l’eau」 出品
2007 サロン・アール・エ・マティエール「Salon Art & Matiere」 出品 メッセ市
パリ8区市役所「Exposition de peintures et sculpteurs」(ライオンズクラブ)出品
個展 「あーとらんどギャラリー」 香川
個展 「トアギャラリー」 神戸
個展 「ギャラリーおおひら」 高知
個展 「サロン・ド・ルビス」 高松
パリ市グラン・パレ「Salon du Dessin et la Peinture a l’eau」 出品
作家HP: http://www.kbn.ne.jp/home/falcon/index%20japon.html
2008年08月05日
「事業仕分け」という言葉を聞いたことがありますか?
敬愛する我ボスが代表を務める「構想日本」で,2002年から行われているプロジェクトです。
2007年11月現在で20の自治体(22回)で実施。事業仕分けを予算編成に反映させた結果、約1割の予算を削減できた具体例もあり,この実績を背景に、実施を希望する自治体が急増しています。
昨日,今日と構想日本の事業仕分けプロジェクトチームはついに「国の事業仕分け」の皮切りである「文部科学省」に着手しました。
これが全省庁にいきわたり,このやり方が都道府県や市町村でも主流となれば,どんなに国会や行政ががんばってもできなかった「改革」ができると,確信にちかい感想を持ちました。まさしく「戦後60年目の大掃除」です。
こんな凄い人の下で,仕事をさせてもらえる幸運に,改めて感謝しています。
(忙しすぎて,高松でマロンが担当させてもらってる案件の指示待ちの時間がが長くなるのは仕方ないとあきらめぎみの本日の私です。。。)
●事業仕分けとは?
・自治体職員と外部評価者(他自治体の有志職員、経営者、市民等)がけ侃々諤々の議論をする
・国や自治体の行政サービスについて、予算書の項目ごとにそもそもその事業が必要かどうかをまず議論
・必要だとすると、その事業をどこがやるか(官か民か、国か地方か)を議論
・最終的には多数決で「不要」「民間」「国」「都道府県」「市町村」に仕分け
・「外部の目」(特に他自治体職員。いわゆる「同業他社」)を入れる
・「公開の場」で議論する(誰でも傍聴でき資料も評価者と同じ)
こちらのブログに,これまでの事業仕分けの詳細(どこの自治体で実施して,どんな結果になったか)が赤裸々につづられています。
http://blog.kosonippon.org/
2007年11月現在で20の自治体(22回)で実施。事業仕分けを予算編成に反映させた結果、約1割の予算を削減できた具体例もあり,この実績を背景に、実施を希望する自治体が急増しています。
昨日,今日と構想日本の事業仕分けプロジェクトチームはついに「国の事業仕分け」の皮切りである「文部科学省」に着手しました。
これが全省庁にいきわたり,このやり方が都道府県や市町村でも主流となれば,どんなに国会や行政ががんばってもできなかった「改革」ができると,確信にちかい感想を持ちました。まさしく「戦後60年目の大掃除」です。
こんな凄い人の下で,仕事をさせてもらえる幸運に,改めて感謝しています。
(忙しすぎて,高松でマロンが担当させてもらってる案件の指示待ちの時間がが長くなるのは仕方ないとあきらめぎみの本日の私です。。。)
●事業仕分けとは?
・自治体職員と外部評価者(他自治体の有志職員、経営者、市民等)がけ侃々諤々の議論をする
・国や自治体の行政サービスについて、予算書の項目ごとにそもそもその事業が必要かどうかをまず議論
・必要だとすると、その事業をどこがやるか(官か民か、国か地方か)を議論
・最終的には多数決で「不要」「民間」「国」「都道府県」「市町村」に仕分け
・「外部の目」(特に他自治体職員。いわゆる「同業他社」)を入れる
・「公開の場」で議論する(誰でも傍聴でき資料も評価者と同じ)
こちらのブログに,これまでの事業仕分けの詳細(どこの自治体で実施して,どんな結果になったか)が赤裸々につづられています。
http://blog.kosonippon.org/

2008年01月16日
たんぽぽ茶人 (世界へ発信したいsanuki人 #1)
お名前:伏見 章先生
キーワード:茶の湯、茶文化、牟礼、柴犬
種別:凄い人・愛すべき人
お住まい:牟礼町
紹介文:
御歳87歳の伏見家四代目の偉大で可憐な茶人。
数寄者でもあった先祖代々よりから受け継いだ膨大な量の価値ある茶道具と茶室(恕庵)を家屋敷ごと牟礼町(合併前の)に寄贈し、現在は夫人とともに恕庵文庫の管理に務める。
先代には表千家流の人もいらしたらしいが、伏見先生は裏千家流を極め、現在は天衣無縫流を実践する。
天衣無縫流とは、時代に合っていない形骸化した茶の湯のルールを軌道修正し、「心から人をもてなすために必要なこと、不必要なこと」を何をも恐れず取捨選択した流儀。具体例として、正客のための「煙草盆(キセル煙草のための道具)」を廃止するなど。しかしこれらはあくまでも人を大切に扱うための基本を押さえた上での勇気ある軌道修正である。考えてみると千利休を始めとした歴史上の数々の茶人は、その作法を時代に合ったものに「勇気をもって」変えてきた。現代人は変えることを極度に恐れる傾向にあるらしい。
季節の茶事などに先生にお供することができたときには、もてなしてくれる人の愛情をどのような立ち居振る舞いや言葉で返すべきなのかを、多くを語られることなくそのお姿でもって教わることができる。
現職時代は、中学の理科の先生として教壇にたっていらしたためか、講義が上手く面白い。念入りに隠された茶文化史の裏の裏まで知り尽くす知識の深さを、その質の高い講義テクニックで巧みに噛み砕き、惜しげもなく披露・還元する講座「伏見塾」を2006年1月に開講された。会場である恕庵は、すでに実施されていた南方録講義とともに、あらゆる意味で聖地となっている。
余談となるが、開講時より中村晄三氏、石田雄士氏ら(のちにDBにてご紹介予定)熱心な塾生により記録し続けられている「伏見塾講義ノート」は50回めに迫る。講義は伏見先生の口から発せられる格調高いさぬき弁を味わうことに醍醐味があるが、講義ノートは彼ら熱心な塾生が、先生のおっしゃったキーワードをさらにフカホリして研究しネットなどで得た画像や詳細情報を満載して編纂されているため、後世に残る文書となることはほぼ間違いないであろう。
以上のように、伏見章先生は、広域にて右にでる人のいないほどの偉大な茶人でありながら、そのお人柄はたんぽぽのように暖かで優しくて素朴ですらある。(以前は菜の花と例えていたが、菜の花は千利休に纏る別の意味を持つ花なのでたんぽぽと改正した)。すでに初代の社中陣は結婚などで全国に散らばり、彼女ら自身も孫弟子までかかえる茶人と成長している模様であり、いわば先生は天皇または仙人と恐れられるべき人。しかし現在も、そのたんぽぽなお人柄を慕って20代30代の社中志願者が後を絶たない。
伏見先生の愛するものに、柴犬がある。最多時には8匹、普段は6匹柴犬を飼っていらしたとのこと。犬のためのアパートが今も庭の片隅にひっそりと佇んでいる。恕庵文庫の隅の方に、先生愛蔵の「犬のアルバム」が大切に保管されている。表紙を開くと、犬に顔をなめられて相好を崩す、少し若い頃の先生に会うことができる。先生の洋服には時々、ダックスフンドやセントバーナードの刺繍やプリントの入ったものが見受けられるが、夫人談によると「柴犬のモチーフのものがないから、洋犬で我慢しているの」とのこと。
今は一匹も買っていない理由は「犬より早よ死ぬんがかわいそな」からとのこと。大切に保管されている犬のアパートを見ると、その気持ちが忍ばれて胸から熱いものが込み上げてくる。
以上、牟礼の伏見先生は、その茶文化の見識の深さ、お人柄、言動の清らかさから、最初に世界に発信したい香川の魅力的な方と勝手に判断して、ご紹介しました。(文責:マロン)
キーワード:茶の湯、茶文化、牟礼、柴犬
種別:凄い人・愛すべき人
お住まい:牟礼町
紹介文:
御歳87歳の伏見家四代目の偉大で可憐な茶人。
数寄者でもあった先祖代々よりから受け継いだ膨大な量の価値ある茶道具と茶室(恕庵)を家屋敷ごと牟礼町(合併前の)に寄贈し、現在は夫人とともに恕庵文庫の管理に務める。
先代には表千家流の人もいらしたらしいが、伏見先生は裏千家流を極め、現在は天衣無縫流を実践する。
天衣無縫流とは、時代に合っていない形骸化した茶の湯のルールを軌道修正し、「心から人をもてなすために必要なこと、不必要なこと」を何をも恐れず取捨選択した流儀。具体例として、正客のための「煙草盆(キセル煙草のための道具)」を廃止するなど。しかしこれらはあくまでも人を大切に扱うための基本を押さえた上での勇気ある軌道修正である。考えてみると千利休を始めとした歴史上の数々の茶人は、その作法を時代に合ったものに「勇気をもって」変えてきた。現代人は変えることを極度に恐れる傾向にあるらしい。
季節の茶事などに先生にお供することができたときには、もてなしてくれる人の愛情をどのような立ち居振る舞いや言葉で返すべきなのかを、多くを語られることなくそのお姿でもって教わることができる。
現職時代は、中学の理科の先生として教壇にたっていらしたためか、講義が上手く面白い。念入りに隠された茶文化史の裏の裏まで知り尽くす知識の深さを、その質の高い講義テクニックで巧みに噛み砕き、惜しげもなく披露・還元する講座「伏見塾」を2006年1月に開講された。会場である恕庵は、すでに実施されていた南方録講義とともに、あらゆる意味で聖地となっている。
余談となるが、開講時より中村晄三氏、石田雄士氏ら(のちにDBにてご紹介予定)熱心な塾生により記録し続けられている「伏見塾講義ノート」は50回めに迫る。講義は伏見先生の口から発せられる格調高いさぬき弁を味わうことに醍醐味があるが、講義ノートは彼ら熱心な塾生が、先生のおっしゃったキーワードをさらにフカホリして研究しネットなどで得た画像や詳細情報を満載して編纂されているため、後世に残る文書となることはほぼ間違いないであろう。
以上のように、伏見章先生は、広域にて右にでる人のいないほどの偉大な茶人でありながら、そのお人柄はたんぽぽのように暖かで優しくて素朴ですらある。(以前は菜の花と例えていたが、菜の花は千利休に纏る別の意味を持つ花なのでたんぽぽと改正した)。すでに初代の社中陣は結婚などで全国に散らばり、彼女ら自身も孫弟子までかかえる茶人と成長している模様であり、いわば先生は天皇または仙人と恐れられるべき人。しかし現在も、そのたんぽぽなお人柄を慕って20代30代の社中志願者が後を絶たない。
伏見先生の愛するものに、柴犬がある。最多時には8匹、普段は6匹柴犬を飼っていらしたとのこと。犬のためのアパートが今も庭の片隅にひっそりと佇んでいる。恕庵文庫の隅の方に、先生愛蔵の「犬のアルバム」が大切に保管されている。表紙を開くと、犬に顔をなめられて相好を崩す、少し若い頃の先生に会うことができる。先生の洋服には時々、ダックスフンドやセントバーナードの刺繍やプリントの入ったものが見受けられるが、夫人談によると「柴犬のモチーフのものがないから、洋犬で我慢しているの」とのこと。
今は一匹も買っていない理由は「犬より早よ死ぬんがかわいそな」からとのこと。大切に保管されている犬のアパートを見ると、その気持ちが忍ばれて胸から熱いものが込み上げてくる。
以上、牟礼の伏見先生は、その茶文化の見識の深さ、お人柄、言動の清らかさから、最初に世界に発信したい香川の魅力的な方と勝手に判断して、ご紹介しました。(文責:マロン)