2008年05月27日
死にゆく人の腕をなでた
日曜日の夕方は、義理父母も含めた大家族で、義理の祖母と義理の伯父(同じところに入院している)のお見舞いにいった。
義理の祖母(夫の母方)は、敬虔なプロテスタントである。大店の薬種問屋の四女で生まれたときから専用の乳母夫妻がついていたという筋金入りのお嬢である。内科医の祖父と結婚して三女をもうけたが、もう一人の赤ちゃんが早く亡くなったことがきっかけでクリスチャンになったそうだ。彼女は、見えるものしか信じない典型的なサイエンティストだった祖父に、折に触れてはみことばを読解き、Christianへと働き掛けた。結果、祖父は70代でイエス・キリストを主と受け入れ洗礼、80代で天に召されることになったそうだ。
祖母は、孫の嫁である私をとても可愛がってくれた。妊娠生活の9割くらいの期間を妊娠悪阻(つわり)という悲惨なマタニティブルーで過ごしていた私を励ますために、旦那いわく「おばあちゃんが布教活動をするなんて初めてだ」というくらい珍しいお誘いを受けた事がある。それは「小坂忠さんというゴスペルシンガーソングライターで牧師さんが高松に来て、教会でコンサートを開いてくれるから、その特別集会にMちゃん(←私のことです)も来ない?」というものであった。
嬉しいお誘いに「喜んで参ります」というお返事をした後、会場が変更(教会の礼拝堂(1階)の予定が参加者が増えてホール(3階)で開催)になったことを知り、「1階だと思って誘ったのに3階だなんて、、Mちゃんにもしものことがあったらどうしましょう」と義母の前で泣いたと、後で教えてもらった。
彼女は折に触れて、とても時間をかけて(周囲の人の証言)丁寧な筆跡で、クリスマスカードや入園お祝いカードを書いてプレゼントとともに送ってくれた。白髪が上品にウェーブしていて常に綺麗な色のワンピースを着て、「ありがとう」と「ごめんなさいね」と「かまいませんか」と「ごきげんよう」を忘れない人。
その彼女にも数年前から認知症が始まり、プロテスタント系の礼拝堂のある老人ホームに入所した。認知症がかなり進んだ状態でも「ありがとう」と「うれしいわ」と繰り返す人だった。
先日から高熱が下がらないため、病院に転送された。
一方、義理の伯父は、東の方で小さな整形外科の医院を経営していた。子どもがいない伯父夫婦は弟の息子夫婦(私たち)が遊びに行くたびに、最大級のもてなしをしてくれた。ある日は買ったばかりの中古のどでかいベンツの後部座席に乗せられて、「ちょっとそこまで」が高速道路を走り抜けて徳島との県境を超えるドライブに連れられたことがある。私は妊娠中、旦那はもともと乗物酔いの体質なので、二人で後部座席でゲーゲーいったものだ。
その伯父が数年前に癌に倒れ、一旦は手術で克服するも、昨年秋から、再び別の部位の癌に冒されて病に伏した。
今度は助からないかもしれない、
伯父の病室に息子も伴って訪問した。
多くの患者さんを救ったはずの細くなってしまった白い腕、肉がそぎ落とされたふくら脛、、でも表情はとてもしっかりしていた。私はその白い腕を撫でた(自分の父が病に伏した時は、死期が迫っているとは思わず、照れ臭さもあって、できなかった)。私に続いて大伯父さんの腕を撫でた息子に向って、直前に呼吸が苦しくなって装着したばかりの酸素マスク越しに、はっきりした発音と声量で「あ・り・が・と・う」と言ってくれた。
祖母も伯父も義理の関係。血のつながりはないけれど、今までにもらった「家族の情」の一遍一遍が映画の予告編のように思い出された午後だった。
この日の出来事によって、懸案事項は、また、森に迷い込んでしまったかのようだ。

義理の祖母(夫の母方)は、敬虔なプロテスタントである。大店の薬種問屋の四女で生まれたときから専用の乳母夫妻がついていたという筋金入りのお嬢である。内科医の祖父と結婚して三女をもうけたが、もう一人の赤ちゃんが早く亡くなったことがきっかけでクリスチャンになったそうだ。彼女は、見えるものしか信じない典型的なサイエンティストだった祖父に、折に触れてはみことばを読解き、Christianへと働き掛けた。結果、祖父は70代でイエス・キリストを主と受け入れ洗礼、80代で天に召されることになったそうだ。
祖母は、孫の嫁である私をとても可愛がってくれた。妊娠生活の9割くらいの期間を妊娠悪阻(つわり)という悲惨なマタニティブルーで過ごしていた私を励ますために、旦那いわく「おばあちゃんが布教活動をするなんて初めてだ」というくらい珍しいお誘いを受けた事がある。それは「小坂忠さんというゴスペルシンガーソングライターで牧師さんが高松に来て、教会でコンサートを開いてくれるから、その特別集会にMちゃん(←私のことです)も来ない?」というものであった。
嬉しいお誘いに「喜んで参ります」というお返事をした後、会場が変更(教会の礼拝堂(1階)の予定が参加者が増えてホール(3階)で開催)になったことを知り、「1階だと思って誘ったのに3階だなんて、、Mちゃんにもしものことがあったらどうしましょう」と義母の前で泣いたと、後で教えてもらった。
彼女は折に触れて、とても時間をかけて(周囲の人の証言)丁寧な筆跡で、クリスマスカードや入園お祝いカードを書いてプレゼントとともに送ってくれた。白髪が上品にウェーブしていて常に綺麗な色のワンピースを着て、「ありがとう」と「ごめんなさいね」と「かまいませんか」と「ごきげんよう」を忘れない人。
その彼女にも数年前から認知症が始まり、プロテスタント系の礼拝堂のある老人ホームに入所した。認知症がかなり進んだ状態でも「ありがとう」と「うれしいわ」と繰り返す人だった。
先日から高熱が下がらないため、病院に転送された。
一方、義理の伯父は、東の方で小さな整形外科の医院を経営していた。子どもがいない伯父夫婦は弟の息子夫婦(私たち)が遊びに行くたびに、最大級のもてなしをしてくれた。ある日は買ったばかりの中古のどでかいベンツの後部座席に乗せられて、「ちょっとそこまで」が高速道路を走り抜けて徳島との県境を超えるドライブに連れられたことがある。私は妊娠中、旦那はもともと乗物酔いの体質なので、二人で後部座席でゲーゲーいったものだ。
その伯父が数年前に癌に倒れ、一旦は手術で克服するも、昨年秋から、再び別の部位の癌に冒されて病に伏した。
今度は助からないかもしれない、
伯父の病室に息子も伴って訪問した。
多くの患者さんを救ったはずの細くなってしまった白い腕、肉がそぎ落とされたふくら脛、、でも表情はとてもしっかりしていた。私はその白い腕を撫でた(自分の父が病に伏した時は、死期が迫っているとは思わず、照れ臭さもあって、できなかった)。私に続いて大伯父さんの腕を撫でた息子に向って、直前に呼吸が苦しくなって装着したばかりの酸素マスク越しに、はっきりした発音と声量で「あ・り・が・と・う」と言ってくれた。
祖母も伯父も義理の関係。血のつながりはないけれど、今までにもらった「家族の情」の一遍一遍が映画の予告編のように思い出された午後だった。
この日の出来事によって、懸案事項は、また、森に迷い込んでしまったかのようだ。

Posted by マロンアルファー at 20:42│Comments(4)
│大事にするということ
この記事へのコメント
心温まるお話に また号泣してしまいました。
いいお話を聞いて 色々あった モヤモヤした思いが す~っと浄化されたようです。ありがとう(^-^)
いいお話を聞いて 色々あった モヤモヤした思いが す~っと浄化されたようです。ありがとう(^-^)
Posted by Linda
at 2008年05月27日 21:40

一人では生きてゆけない。
どんなに頑張っても、一人では生きてゆけない。
相手が望んでいるのは何だ?
そこを感じるところからはじまるのが、まちであり、人であると、私は思うよ。
それぞれに幸福の点は違っていても、必ず結び合う線はある。
若い頃、その線を断ち切ってしまったことを後悔はしていないけれど、その線を育む努力をしなかった自分に反省はしている。
他人ではわからない微妙なことだから、マロン自身が受け止めなければ。
どんなに頑張っても、一人では生きてゆけない。
相手が望んでいるのは何だ?
そこを感じるところからはじまるのが、まちであり、人であると、私は思うよ。
それぞれに幸福の点は違っていても、必ず結び合う線はある。
若い頃、その線を断ち切ってしまったことを後悔はしていないけれど、その線を育む努力をしなかった自分に反省はしている。
他人ではわからない微妙なことだから、マロン自身が受け止めなければ。
Posted by るいまま
at 2008年05月27日 22:31

ころっと、死にたいなあ~~~
Posted by シネマ大好き娘 at 2008年05月28日 06:19
Linda
号泣してもらえたのは、同じ体験や想いを抱いたことがあるからですね。
ありがとう。
るいまま
このままでは後悔も反省もできないうちに寿命を迎えてしまいそうだと焦っている自分は、自分が何をしたいかしか見えていなかったようです。
一つ一つ腑に落ちてくる言葉を、ありがとう。
シネマ
そう?
号泣してもらえたのは、同じ体験や想いを抱いたことがあるからですね。
ありがとう。
るいまま
このままでは後悔も反省もできないうちに寿命を迎えてしまいそうだと焦っている自分は、自分が何をしたいかしか見えていなかったようです。
一つ一つ腑に落ちてくる言葉を、ありがとう。
シネマ
そう?
Posted by マロンアルファー
at 2008年05月28日 09:05

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